○○は~~をやれば大丈夫ですか ≪その1≫
「○○は~~をやれば大丈夫(完璧)ですか」という質問をする人がいます。○○には科目か試験の名前、大学名を、~~は勉強の内容や参考書の名前を入れてください。例えば、
「共通テスト古文は過去問10年分解けば大丈夫ですか」
「この単語帳全部覚えたら二次試験まで対応できますか」
「共通テストの漢文で45点以上取りたいんですけどこのテキストに載っている句法完璧にしたら取れますか」
などです。
このような質問をされたとき、最初は内心、(大丈夫とは何…完璧とは何…)と、質問の意味と、なぜそんな質問をするのか意図がわかりませんでした。もちろん間違っても「絶対大丈夫!だから頑張れ!」とは言えません。受験指導をしてお金をもらっている予備校職員のアドバイスとして発言する以上、また物事に「絶対」がそうそうない以上、安易に断言してしまっては無責任です。受験に関する発言であればどんな内容にも責任が発生します。もし質問を言葉通りに受け取って回答すると「そうやった人でうまくいった人もいるだろうけどあなたの場合はどうだろうね」と歯切れの悪い回答になります。(実際こうは言いませんが。)
そのような質問をする受験生の心境を考えてみると、いくつかの考えに至りました。
・自分のやろうとしていること/やっていることの保証が欲しい
自分なりに調べて行き当たった○○という勉強法、このまま続けて数か月後の模試で結果につながるのか。本当に効果があるのか。数か月続けているが力がついている気がしない。本番は日に日に迫ってくる。怖い。正しい努力なのか。そんな考えが巡った結果の「○○は~~をやれば大丈夫ですか」。
・「完璧」という水準に対する認識が甘い
完璧とは欠点がないことです。試験で言えば満点のことです。参考書の内容で言えば、書いている事柄を隅から隅まで覚えていて自在に記憶から引き出して説明できること、などでしょうか。大学受験で満点というのはそう簡単に取れるものではありません。教える人でも、文法書や辞書に載っている細かい情報まですべて暗記していることはありません(「この本のここを調べれば載っているはずだ」という記憶なら当然しているとは思いますが)。だからというつもりはありませんが、それくらい「完璧」という水準は到達するのが難しいです。「完璧」な水準に到達することの難しさや労力の大きさを理解していないから、「○○は~~をやれば完璧ですか」と聞いてしまう。
※ただし、「この1冊の参考書をやり込む、やり抜く」という意味の例えとしての「完璧にする」は理解できます。
以上を合わせると、その手の質問をする人は精神的に「幼い」のだと思います。か弱く幼いから、安心と保証を求めて安易に曖昧な聞き方をしてしまう。ただし、幼いのはむしろ当たり前です。なんにも悪いことではありません。これから成長できます。もっと言えば「~~すれば完璧ですか」系の質問自体私は否定的に考えてはいません。自分のやっている方法を再検証して反省しようとしているからです。
次回へ続く・・・
記:国語科 木下直樹