○○は~~をやれば大丈夫ですか ≪その2≫
次に、なぜ「○○は~~をやれば大丈夫ですか」という類の質問をするに至るのか、受験生の置かれた環境の方から考えてみると、次のことが思い浮かびました。
・巷に「正しい勉強法」の情報が氾濫しすぎている
普通のHPだけでなく、動画サイトやSNSなど勉強法やおすすめ参考書などを紹介するサイトはたくさんあります。国語の勉強の仕方のアドバイスを見ると、
「まず語彙がないと文自体読めない。漢字をやろう!」
「漢字問題は配点が低い。コスパが悪いので捨てよう。」
「設問はいくつかの段落ごとの内容を問うように作られている。段落の要約をしよう!」
「文章の要旨が掴めれば問題は解ける!要約しよう!」
「読めても解けるとは限らない。逆に読めなくても解ける!問題の作られ方を知って設問の解法を習得しよう!」
「マーク式でも記述のように手を動かして解答を作成しよう!」
「国語はフィーリング!勉強しても無駄!」
「○○という参考書1冊で共通テストは大丈夫!」
と、こんな感じのことが書いてありました。
国語だけでも「アドバイス」は多岐に渡ります。こういった「アドバイス」の多くは、正しいことを言っていると思います。どんなアドバイスを参考にするも自由ですが、その時に考えてほしいのはその「アドバイス」が本当に今の自分の現状に即しているのか、ということです。語彙学習、要約、設問解法の習得など、もちろん大抵のことはやった方がいいに決まっています。しかし受験生は時間が有限である以上、その中で今の自分に必要なことをまずは見極めなければなりません。
以前にもこのクラズームで書いた気もしますが、結局言いたいことは、勉強のアドバイスは自分の現状とこれまでの学習経緯を踏まえて、普段の様子を知っている人に求めるのが良い、ということです(特に色んな情報に惑わされてしまう人へ)。聞きかじった方法を工夫無くそのまま自分に適用しても上手く行きません。自分には自分の最適なやり方があります。あなたの身の回りの識者(通っている学校の教科担任など)はそのやり方を見つける助けをしてくれるはずです。
ちなみにもしも私が「○○は~~をやれば大丈夫ですか」と聞かれたら、よほど斬新なことをしていない限り「それだけだと十分じゃないかもしれないけど、合格には近づくよ」と言いつつ、何かしら今後の勉強の方針を示そうと試みます。
以上、えらそうに書いてすみません。私見です。
記:国語科 木下直樹