子育て・受験にまつわるよもやま話―No.6「通学」ということ

 学齢前の通園後、義務教育期間12年間をほとんどの生徒は「通学」する。日常的なこの「通学」には結構いろいろなドラマがあるものだ。
 昨日まで仲良く通っていた友達が急に口も利かなくなったり、といった人間関係や、忘れ物、宿題をしていないなど重い気持ちを抱えての通学、雨の日、風の日、寒い、暑いなど文字通り照っても降ってもとりあえず学校に向かう。
 「通学」するということは学年が進むのと相まってその後の、行動力のエネルギーや経験値の養成に大いに寄与すると思われる。
 自身の通学時代、学区外通学というやや特殊な経験からしてもこの期間得たものは大きいと今も感じている。当時保母として通勤していた母と一緒に毎日通った小学校のグランド脇の道、回旋塔や、ジャングルジム、竹登り、ブランコ、ボール遊びなど賑やかに遊んでいる大勢の子ども達をいつも眺めて、入学したら自分もあそこに……、と思っていたが、学区外だった。多分随分頑張ったのだと思うが両親が所定の手続きをしてくれて、以来6年間、自転車でバス停まで15分、京成バスで20分、降りてから徒歩5分の小学校へ通学。この間はそれこそ様々な体験をした。通勤通学で満杯のバス、窓側ぐるりとひと並べの椅子に座っている人に倒れこむように乗り込む小学生、ランドセルを盾に人に埋もれるように立ち、金属の柱を掴めたら良い方、ほとんどは大人に寄りかかる状態、あるときなど私と同じく学区外通学にした弟がバス停にランドセルを置き忘れ、あわてた小4の私はやおら車掌さんと運転手さんにバスを止めるよう頼み、本当に止まったバスから飛び出して2,30M?は離れていた停留所に走り弟の鞄を持ってバスに戻ったという今では考えられないような経験さえ持ち合わせている。
 現在「コロナ禍」も影響してか通学させるというよりは家にいての学習、リモートや映像授業にシフトしつつあるような感じがある。友達とはネットを通じてのゲームに興じ、その間体は当然家にいて行動とはほど遠い姿勢の中で学習や、遊びが進行し、ゲームの中では魅力的かつ広がりのあるバーチャルな世界が繰り出される。
 しかし人間は当然生身の生き物、時に無駄な動きと思ってもとりあえず外に向かって「行動する」、「行動できる」という「生活習慣」の芽は実はこの小学生、中学生時代の「通学」行動によって培われるのではないか?そう考えると毎日学校へカバンを背負って、その日のお天気に左右されることなく、ひたすら「通う」ということが子どもの成長を促す原点なのではないかと考える。
記:事務局 福島喜久