バリ島的世界で

 バリ島の朝は厳かで清々しい。花とドゥパ(線香)の香りが空気を満たし、伝統衣装に身を包んだ女たちがそこかしこで祈りを捧げている。
 異国情緒あふれる街で見るものすべてが珍しく、高揚した気分で歩いていたからか、渋谷卓(しぶやすぐる)は足もとの供え物をうっかり引っくり返してしまった。バナナの葉で編んだ手作りの小さな供え物ではあるが、祈りとともに神に捧げられたものだ。蹴飛ばしたままにしていてはバチが当たる。あわてて散らかった花や米を集めていると、
「そのままでいいわよ。気にしないで」
 と声がした。顔を上げると、優しい顔立ちのバリ女性が立っていた。散乱した供え物は、ついさっき彼女がお祈りに使っていたものだ。
「散らかってもいいの。祈りを捧げる心が大切だから。そもそも供え物には価値なんてないのよ」
 確かに、犬が米を食い散らかしているお供えもある。そんな犬をバリ人は追い払いもしない。それどころか、まったく気にもしていないように見える。神と向かい合う心を重要視する人たちにとって、供え物は犬に食われても構わないほど意味のないものであるようだ。
 彼女によると、供え物には「神に捧げるもの」と「悪霊に捧げるもの」の二種類があるという。毎朝、地面に直接置くのは悪霊のための供物らしい。地中にいる悪霊に「地上に出てきて災いを加えないで」と祈るそうだ。
「悪霊にもお供えするなんて変わっているね」
「善と悪、どちらも重要よ。両方がバランスよく存在してこそ、世界は安定する。わたしたちバリ人はそう考えているの」
 彼女の名前はプトゥといい、年齢はまだ18歳だった。中学を出てすぐに観光客が集まるこの街に来て、今のレストランで働き始めたという。高校に進学したかったけれど、自分が働かないと弟妹が学校に通えなくなる。
「弟妹のために働くのが自分の役割なのよ。そうやって各自の役割を果たす人々でこの世界は調和がとれて成り立っていけるの」
 プトゥは南国の太陽のような底抜けに明るい笑顔を向けてそう言った。

 二年間働いた会社を辞め、しばらく南国風のんびり、まったり、ゆったり生活を楽しもうと渋谷卓はバリ島にやってきた。東京で張り切って働きに働いて、お金は貯まったけれど使う暇もない生活に、ほとほと疲れ果ててしまった。このままでは充実感も潤いもない毎日に慣れてしまって、惰性で生きていくことになりかねない。卓は危機感を持って、新しい生活を始めるなら今しかないと、きっぱりと仕事を辞めた。会社側もあっさりと辞表を受理した。おそらく卓は会社の必要とする戦力ではなかったのだろう。あるいは、卓の代わりなど掃いて捨てるほどいるのだろうか。ひとりふたり欠けても会社は変わらず動いていく。その調和を少しも乱されることなく。
 いずれにしても、卓は会社を辞めて自由の身となった。拍子抜けするくらい簡単なことだった。さあ、憧れの常夏の地で生活するぞと意気込んで、自分に馴染みの深い東南アジアを行き先に選んだ。東南アジアならどこでも良かったけれど、生活が楽そうなのでインドネシアで暮らすことにした。学生の時からインドネシア語を勉強しているので、言葉には不自由しないだろう。なんとかなる。なんとでもなるはずだ。南国的楽観性を持って、渋谷卓は胸躍らせて日本を発った。
 バリ島に着くと、クタの町で安い下宿を見つけて、そこで少なくとも三ヶ月は暮らすことにした。長期滞在には下宿するのがいちばん安上がりになる。もっとも、設備は簡素そのものだった。地元の人が昔からの暮らしをするだけのものしかない。部屋には裸電球が下がり、家具は狭いベッドと小さな扇風機があるだけだ。もちろんエアコンなどない。共同の浴室にはお湯のシャワーはなく、溜めてある水を手桶で汲んで水浴びをする。ただ、これはとても気持ちがよかった。床に就く前に、熱で火照った身体にじゃんじゃん水を浴びる。そうやって体温を下げて、眠りにつくのだ。猛暑日と熱帯夜の繰り返しのなかで、バリ人と同じように卓もまた1日に何度も水浴びをした。
 卓以外の下宿人は皆バリ人で、レストランやディスコや土産物屋で働く者ばかりだった。外国人観光客相手の仕事に就いているが、皆ギリギリの生活をしていた。華やかさとは無縁の慎ましやかな生活を送っていた。それでもバリ人らしい芯の強さを誰もが持って生きていた。
 ちょうど日本のドラマ「おしん」がテレビで放映されていて、インドネシアじゅうで爆発的な人気を博していた。下宿のバリ人たちも日曜夕方のテレビ放送を楽しみにしていた。毎週その時刻には通りからバリ人の姿が消えると言われるほど、多くの人がテレビにかじりついていた。庶民にはまだビデオ機器が高嶺の花であったので、テレビ放送を見逃すわけにはいかなかったのだ。「おしん」は国民的関心を集め、月曜日の朝は「昨日のおしん」の話題で持ちきりになるのだった。
 「小さなおしん」の小林綾子も「大きなおしん」の田中裕子もインドネシアでは知らない人がいないほどの有名俳優になっていた。この数年後に、大きくなった小さなおしんの小林綾子がインドネシアに来た時には国じゅうで大騒ぎになったほどだ。
「おしんはまるでバリでの話のように感じるよ。日本も昔は貧しかったんだな」
 日本料理レストランで働く下宿人のバリ人がしみじみとそう語った。彼は田中裕子の大ファンで、おしんが放映されている間はテレビに向かってカメラを構え、田中裕子が登場するとシャッターを切っていた。彼によると、こんな写真でも夜市でよく売れるのだそうだ。
 貧しいけれど一所懸命生きる「おしん」のおかげで日本人は好意的に見られていた。バリ島に来る日本人観光客のなかには好き勝手にやりたい放題やってバリ人の顰蹙を買っている者もいたが、それでもまだ他の国よりは遥かに常識的だと見られていた。まともに健気に生きる「おしん」のおかげで、日本人の株は大きく上がっていたのだ。
 自分もバリ島にいるときは、しっかり者の日本人として真面目に生活しようと渋谷卓は誓った。ここでは憂さ晴らしの酒も必要ないし、寝不足の疲労状態で満員電車に揺られる拷問もない。健康的で、人間らしく暮らせそうだった。
 卓は朝起きるとまず近くにある屋台にコーヒーを飲みに出かけた。陽気なおばさんがひとりで切り盛りしている屋台だった。近所のおじさんたちが朝っぱらから集まってきてはコーヒーを飲みながらだらだらと雑談をしている。卓も朝ごはんの揚げバナナをつまみながらインドネシア語で会話に加わった。ただ、おじさんたちも屋台のおばさんもバリ語でないとお喋りの調子がでないようだった。
 屋台には時おり欧米人の観光客も立ち寄った。英語しかできない彼らはコーヒー1杯に10円も払っていたが、インドネシア語を話す卓は同じコーヒーを5円で飲むことができた。この国の言葉を話せる者は得をするんだよと得意になっていたら、近所の人たちは2円で飲んでいることが判明した。屋台も雑貨屋も、親しい人たちには儲け度外視で商売をしている。そうやって質素な生活の中でバリ人は助け合って暮らしていた。(ところで、のちに卓が片言のバリ語を使い始めるとコーヒー代はついに2円になった。)
 昼間はビーチに出て、椰子の葉陰に寝そべってだらだらと過ごす。そんな生活を思い描いていたのに、いつしか卓は毎日バリ語を個人教授で二時間みっちりと教わっていた。先生は日本語を専攻しているバリ人の大学生だった。
「ニホンゴできますですと、二ホンのカイシャを、カイシャに、カイシャで、はたらくできますですね」
 彼は日本企業で働くことを夢見ていた。日本語ネイティブの卓が挫折した東京的生活に憧れているのだ。真面目な彼は助詞の用法に苦労しながらも、夢に向かって懸命に日本語を学んでいた。なるほど、日本語学習に熱が入るはずだ。外国語学習には何よりも強い動機が必要なのだ。
「バリゴは、さいしょ、カンタンなアイサツに、アイサツと、アイサツを、べんきょうしますですね」
 初日のレッスンで、先生はまずバリ語の挨拶から勉強しようと提案した。
「いいえ、アイサツだめ。バリ語たくさんはなすしたい」
 卓はバリ語で答えた。挨拶はある程度知っているから実践的な練習をしたいと訴えたのだ。そもそもバリ語は下宿や屋台やビーチで少しは齧っている。生活するうえでの必要性にかられて覚えたバリ語だ。通じることを最優先した、単語を羅列するだけの雑なバリ語である。そんなブロークンな原始的バリ語ではなく、もっと複雑な内容を伝えられるようになりたかった。できるならペラペラと話せるようになりたい。もっとも、日本語ですら立て板に水とはほど遠かったけれど。
 卓はバリ語を必死に勉強した。卓にも強い学習動機があった。供え物をひっくり返してしまった時に知り合ったバリ人女性プトゥに惹かれていたのだ。バリ島に来てそうそう卓は恋をしてしまった。善と悪はどちらも大切だと言い切ったプトゥにバリ語で恋心を告白するつもりだ。そのためのバリ語学習だった。必死になるのも当然だ。型通りの挨拶なんかを練習している暇はないのだ。熱い心を伝えられる言葉こそを渋谷卓は欲していた。
 実はプトゥとはすでに一度デートらしきものをしていた。ただ、せっかくのデートにプトゥは幼い女の子を連れてきた。自分の働くレストランのオーナーの娘で、ベビーシッターを頼まれたそうだ。まったく愛嬌のない少女で、卓がいくらインドネシア語で話しかけても何も答えない。不思議なものを眺めるかのように、卓の顔をまじまじと凝視するだけだった。プトゥの説明によると五歳のその子はまだ小学校に上がっていないのでバリ語しか分からないとのことだった。そこで卓はバリ語で「おしんは好き?」と訊いてみた。すると、その子は眉をひそめながらプトゥのうしろに隠れてしまった。
「それは目上の人に尋ねる言いかたよ」プトゥが笑いながら卓の間違いを指摘した。
 バリ語は敬語体系が面倒なほど発達した言語だ。日本語と同じ尊敬語と謙譲語があるだけでなく、バリ=ヒンドゥーのカーストによって、話者と聞き手の身分の違いからさらなる敬語表現がいくつも存在する。そんなややこしい敬語を間違えて話すと大変な失礼となるので、バリ人同士であっても普段接しない人とはバリ語で話すのを避けて、あえて敬語のないインドネシア語を用いることもあるという。また、上下関係によって言葉を使い分けなければいけない煩わしさから若者のバリ語離れも目立ってきたらしい。確かにインドネシア語で話せば活動範囲が広がるし、人間関係で不便な思いをすることもなさそうだ。
 ようするにバリ語は複雑で習得がとても難しい言語なのだ。うっかりすると五歳の幼児に「おしんはお気に召しますか?」などと話しかけてしまい、眉をひそめられてしまう。
 とにかく、わけのわからない子どもが横にいるものだから、せっかくのデートだというのにプトゥとはほとんど話ができなかった。女の子はすぐに退屈してしまって、その子の機嫌を取るのにプトゥは忙しかったのだ。そのうえ、せっかくのロマンチックであるべき食事だというのに、雰囲気のいいレストランよりもごちゃごちゃした屋台でバリ料理を食べたいとその子は駄々をこねた。卓はため息をつくよりなかった。
「それ、バリのシューカンです」
 バリ語の先生が詳しく説明してくれた。初めてのデートには、バリ女性は必ず妹や幼い子どもを連れてくるという。いきなり男と二人きりにならないための自衛策らしい。
 どうやら、その五歳の女の子は自分の役割をしっかりと果たしたようだ。十八歳のプトゥを外国人男の魔の手から守ったのだ。そうやってバリ島的世界は回っている。プトゥの言う「調和ある世界」で卓たち三人はデートに出かけ、屋台で豚チャンプールご飯を一緒に食べた。チャンプールとは混ぜ合わせという意味で、豚の肉やら内臓やらをご飯と一緒に食べる定食だ。女の子はその時だけは上機嫌だった。バリ語でなにやら冗談を言って、屋台のおばちゃんを笑わせ、脂身と皮をおまけしてもらっていた。
「もういっかいデートにさそいますです。そして、ひとりに、ひとりは、ひとりで、きますだから、あなたの、あなたに、あなたを、スキですね」
 もう一度デートに誘って、プトゥが一人で来たなら、卓に気がある証拠だから交際を始められる。ロマンチックなレストランで見つめ合いながら食事ができる。もし再びあのバリ語少女がついてきたら、諦めたほうがいいということだ。その時はまた豚チャンプールご飯を屋台に食べに行くよりない。そうなったら脂身と皮を追加注文して自棄食いしてやる。
 果たして二度目のデートにはプトゥがひとりで来てくれるだろうか。もしそうだったら、と卓は楽しい想像を巡らせる。流暢なバリ語でジョークを披露してプトゥを笑わせてやろう。「君に恋焦がれる熱い想いで、ぼくは丸焼けになりそうだ」なんてね。
 卓は真剣にプトゥとの結婚すら考え始めていた。東京的生活とはかけ離れているバリ島的人生も悪くない、いや、そのほうが自分には合っている、と思うようになったのだ。
 卓は頻繁にプトゥの働くレストランへ食事に行った。ウエートレスと客の関係だが、ほんの少しでも彼女と話ができるだけでよかった。ある時、ビーチで知り合った日本人観光客のグループを誘って、一緒に豚の丸焼きを食べに行った。プトゥの踊りをぜひとも見たかったからだ。豚の丸焼きは儀式がある時に食べる料理で、それを注文すると儀式のための踊りを披露してくれることになっていた。
 バリ人はたいてい伝統舞踊を踊れる。幼い時から慣れ親しんでいるからだ。伝統衣装に身を包み、特別な化粧を施したプトゥは魅力的だった。踊りも優雅だった。卓はますます夢中になった。自分にはこの人しかいないと思いつめた。
 いよいよ運命の二度目のデートに誘うと、
「もうすぐニュピ(バリ暦の元旦)よ。田舎に帰省するために準備しなければいけない」
はぐらかすかのように彼女はそう答えた。
「ところで、豚の丸焼きはおいしかった?」
「とてもおいし。きみオドリいちばん」卓はバリ語で答えた。
「ありがとう。それにしても日本人はお金持ちね」プトゥは卓がわかるようにインドネシア語で話した。「儀式でも何でもないのに、豚の丸焼きを注文するなんて信じられない。ねえ、バリ人が貧しい理由を知っている? 儀式や宗教行事にお金をかけすぎるからよ。当然という顔で多くのお金と時間をかける。何を置いても人生でいちばん大切だからってね。だからお金は貯まらず、いつまでも貧しいままなのよ」
 彼女は何かを伝えようとしていた。バリ人は本当に伝えたいことは直接言わない。特に相手を傷つけたくない場合には。
「でもね、私はいつまでもバリ人でいたい。儀式と行事を大切にするバリ人でありたい。バリの文化と習慣を捨てて経済的に裕福になっても、決して幸せにはなれない気がする」
 結局、最後まで彼女の言いたいことに卓は気づけなかった。後から振り返ってみると、彼女は大切なことを伝えようとしていたのに。
 二度目のデートの話はニュピ休暇が終わってから仕切り直しとなった。
 バリの新年が近づいてきた。しかし、コーヒー屋台のおばさんはため息ばかりついている。「もうすぐ息子たちが帰省してくるのに……」という独り言にピンときた。時には卓でもバリ人の心中を察することができる。
 正月のご馳走を用意するお金が足りないに違いない。先日の親戚の葬式で貯めておいたお金を使い果たしてしまったのかもしれない。おばさんも儀式を重んじるバリ人なのだ。
 いつも2円コーヒーで世話になっているので、正月料理の材料費を用立ててあげることにした。いくら必要なのかハッキリと言ってくれないので、かなりの時間がかかったが、どうやら500円あれば充分だとようやく判明した。そのお金を手にしたおばさんは卓の手を握って何度も感謝の言葉を口にした。
「これで息子たちにたくさん食べされられる。正月が迎えられる。これもみんな、ミスターのおかげです」
 その日以来、屋台で飲むコーヒーはついに0円になった。無料でコーヒーを提供するなんて初めてのことだよ、とおばさんは満面の笑顔で言うのだった。
 バリの正月は静寂の中で一日を過ごす。仕事どころか家事すらも一切してはいけない。電気も火も使うことが禁じられている。さらに家の敷地の外に出てはいけない。つまり、前日までに料理を用意しておき、元旦はそれを食べながら家族で静かに家の中で過ごすのだ。
 大晦日の夜11時ごろ、屋台のおばさんが下宿にやって来た。「明日はこれを食べて」と料理を持ってきてくれたのだ。豚肉の串焼きが皿に山盛りになっていた。さらに、魔法瓶にコーヒーを入れてくれていた。
 元旦の朝、静けさの中で卓はコーヒーを啜る。ぬるくなっていたけれど格別な味がした。そして、プトゥのことを想った。彼女も家族と一緒に静かに正月を迎えているだろうか。ご馳走をたくさん食べただろうか。
(お金がなくて、ご馳走は用意できなくても、正月をバリの伝統どおり家族と過ごせれば、それだけでいいのよ。そういうバリ人でいたいの)
 プトゥならきっとそう言うだろう。

  正月休み明けにプトゥと会いたくて、浮き立つ気持ちでさっそくレストランへ行くと、店主が申し訳なさそうに言うのだった。
「あの子はもうここには戻らないよ。田舎で結婚するそうだ。弟の高校進学に費用がかかるから結納金が必要だったんだろうな。15歳の時から勤勉に働いてくれて、ずいぶん助けられてきたから本当に残念だよ。でも、ああいう子こそ幸せになってほしいね。ほら、おしんのように。ヘイ、ミスター、食事をしていかないのかい?」
「わしかえる。もうここくるない。さよな」
 卓のバリ語は下手くそのままだった。でも、プトゥが手の届かないところへ行ってしまった今となっては、バリ語の学習動機まで失ってしまった。一体これからどうすればいいのだろう。私に私を私はまったく困ってしまいますです、と卓はバリ語の先生の真似をしてみた。もちろん、そんなことをしても状況は何も変わらない。
「自分の役割を果たす人々でこの世界は調和がとれて成り立っていけるのよ」
 プトゥの声が聞こえた気がした。
 調和ある世界のために自分が果たすべき役割とは何だろう。薄暗い下宿の部屋で卓は考えてみたけれど、答えなぞ見つかるはずもなかった。
 それにしても、弟の高校進学のためだけに結婚するなんて、なんと哀しい役割をプトゥは担ってしまったのだろう。そして、自分はなんと無力な意気地なしなのだろう。惚れた女に何ひとつしてやれなかった。
 それでも生き続けるよりない。取りあえず、これからもバリ島的世界で生きていくことにしよう。卓は気力を振り絞って立ち直ろうとした。

 そのままバリ島に住み続けた渋谷卓は、のちにバリの州都デンパサールで、日本語の先生であるトーフィックと一緒に「ますですツアー」という会社を起こした。日本人観光客に的を絞り「あなたへ、あなたと、あなたを、どこにでも連れていきますです」をキャッチフレーズに様々な体験ツアーを企画して好評を博した。「ますですツアー」は順調に売り上げを伸ばし、トーフィックは一年に何度も日本を訪れ、ついには日本人女性と結婚することになった。「おしんとケッコンしますです」とトーフィックは大喜びをしていた。卓も何度か恋をしたが、プトゥへの想いを引きずり、結婚に至らないまま四十歳になった。その年「バリ舞踊鑑賞付き豚の丸焼きディナー」に出演する踊り手をオーデションで選んでいたとき、見事な踊りを披露した二十歳のバリ女性と卓は恋に落ちた。二人はついに結婚の約束をして、卓が彼女の両親に挨拶に行くことになった。すると、昔プトゥが働いていたレストランのオーナーが出てきた。そう、卓が一生の伴侶に選んだ女性は、その昔プトゥとのデートについてきた愛嬌のない少女だったのだ。まったくバリ島的世界は狭いものである。
記:英語科 佐々木晋