熱々のロティと殻ごとドリアンあれ!

 シンガポールのチャンギ空港に到着した。冷房がよく効いていて、清潔で整然とした国際空港である。インドネシアのジャカルタに住んでいる僕らにとっては、まさに異国に来たという感じだ。
 1歳の息子はおとなしく入国審査の列に並んでいる。ジャカルタの空港では、ロビーを歩く野良猫の後を追いかけまわしていたけれど、ここには猫などいない。
 妊娠六ヶ月の妻は、大きく息をついている。ジャカルタのようにタバコの煙に悩まされることもない。
 妻が最初の子を宿してから、久しく遠出をしていなかった。二番目の子が生まれれば、しばらくはまた育児にかかりきりになる。その前に無理をしてでも旅行に出ようと計画したシンガポール行きだった。
 シンガポールは多くの面で快適な国であるうえに、僕らは幸運にも、シンガポール在住の友人が住む高級マンションに滞在することになっていた。友人一家が数日マレーシアに出かけることになり、そのあいだ自由にマンションを利用してくれと親切な申し出を受けたのだ。
 豪華な旅行になりそうだった。ジャカルタの端っこにある田舎の村に僕らは住んでいる。夫婦と幼児、それに住み込みのお手伝いさんが暮らすには充分に広い家ではあるが、電気の容量は低く、エアコンも給湯器も電子レンジもない。
 だから猛暑日と熱帯夜の繰り返しの毎日のなかで、涼を取るには「水浴び」しかない。まわりの村人たちもそうやって何十年、何百年と暑さをしのいできた、昔ながらの方法だ。
 ただ、前近代的と言われようとも、水浴びはとても気持ちがいい。汗をかくたびに一日に三度も四度も水を浴びるのだが、特に就寝前の水浴びは格別にいいものだ。熱を帯びた身体を冷やし、すっきりした気分で眠ることができる。
 そんな生活に慣れてしまえば、エアコンもいらないし、ましてやお湯のシャワーや風呂はまったく必要ない。
 シンガポールでの高級マンション暮らしは、僕らの田舎生活とは雲泥の差に違いない。寒いほどエアコンが利いて、だからこそ熱い風呂に浸かりたくなる贅沢な生活なのだろう。とにかく快適で眺めもいい地上12階での生活が楽しみだ。
 とはいえ、いくら快適に過ごせそうといっても、身重の妻と1歳の幼児を連れての外国旅行である。どんなハプニングが起こるかわからない。それもまた旅の醍醐味ではあるけれど。
 これはハイテクシティ=シンガポールへの単なる旅行ではなく、れっきとした大冒険だ、と僕の心は躍っていた。もちろんそれと同時に、大きな不安も抱えていた。ひょっとすると、この旅は僕らにとって、これからの家族のありかたを左右するターニングポイントになるかもしれないな、と。
 そして、その予感はずばり的中したのだった。

 シンガポール最初の朝、普段なら6時に起きる息子が7時になってようやく目を覚ました。こいつも疲れていたのかなと思ったが、よく考えてみると、時差を引けばジャカルタ時間で6時だった。おまけに、いつものように、どんぴしゃり日の出と同時に起きだしたのだった。幼児の体内時計おそるべし、である。
 夜が明けるとともに散歩に出かける。
 それが僕と息子の日課だった。田舎の村に住んでいるので、家のまわりにはいくらでも歩きまわれる自然がある。小動物にあふれる田圃、水牛が水浴びをしている小川、林もあれば原っぱもある。至るところで、椰子の樹が林立し、バナナが生い茂っている。
 舗装されていない砂利道を息子は平気で裸足で歩き、その後ろを僕がついて行く。昼12時までの6時間に及ぶ散歩は、息子の好奇心を満たすためには欠かせない日課だった。
 しかし、いま僕たちはシンガポールにいる。いくら「清潔で緑あふれる」(clean and green)都市国家とはいえ、まわりは高層住宅だらけで、とても息子が喜ぶ散歩などできそうにない。
 と考えるのはあくまで大人の頭であり、1歳の息子には場所など関係なく、とにかく外に出て歩きまわることが最優先事項のようだ。おむつを取り替えてもらうと、息子はさっそく玄関へとトコトコ歩いていった。
 さあ、散歩に出かけるぞ。お父さん、ついて来い、である。
「私も行く。ついでに朝ごはんを食べましょう。お腹ぺこぺこ」
 珍しく妻が同行することになった。初めてのシンガポールで、尻が重い(あくまで比喩表現である)妻も好奇心がかきたてられたのだろう。あるいは単にシンガポールの食べものに興味があっただけかもしれない。
 抜けるような青空が広がる、気持ちのいい朝だった。高層住宅に囲まれた小さな公園では、お年寄りが太極拳の練習をしていた。スイカを上から二つに割って、半分を左に、もう半分を右に、というような動作をゆったりと繰り返している。
 息子はといえば、シンガポールでよく見かける、体が黒くて嘴の黄色い鳥を捕まえようと、よたよたと無駄に動きまわっている。大きなお腹の妻は、やさしい笑みを浮かべて、のんびりと歩を進めていた。
 穏やかで、平和で、申し分のない朝のひとときだった。
 ひとしきり歩いた後、市場をのぞいてみる。南国の果物に溢れているのは、ジャカルタと同じだが、ときおり目にしたことのないようなフルーツが並べられている。
「ドリアンがある」
 妻がはしゃいだ声をあげた。ジャカルタではあまり目にしない、バンコックドリアンが、ビニールパックに入って売られている。バンコックドリアンは甘さが濃く、インドネシアのドリアンよりも格段に美味い。
 さっそく妻は、一つひとつ慎重に匂いを嗅いで、たっぷり時間をかけたわりには、結局ワンパックだけしか買わなかった。
(やれやれ、朝っぱらからドリアンか)
 と思ったけれど、もちろんそんなことは口に出さない。なにしろ相手は妊婦なのだ。その嗜好には口を挟んではいけない。
 市場横のフードコート(屋台だまり)に入る。外食好きのシンガポール人にとって欠かせない場所だ。安くて、種類が豊富で、たいていのものはここで食べられる便利な場所だ。
 朝のフードコートは、通学・通勤前の人たちで混み合っていた。ネクタイを締め、きちんとした身なりのビジネスマンが揚げパン片手にお粥をすすっている。制服を着た小学生が母親と一緒に、大盛りの焼き飯をかきこんでいる。中国系、インド系、マレー系がひとところで朝食を楽しんでいる。実にシンガポールらしい光景だ。
 僕たちはインドのパンのロティを頼んだ。薄く焼いたパンでカレーに浸して食べる。朝からカレー、これはインド人の正統な食生活である。というよりも、カレーを食することは、朝昼晩いつでも正統的なのだ。
 学生の頃、マレーシアのペナンでインド人家庭に3泊4日ホームステイしたことがある。そこで全部で8回食事をしたが、すべてカレーだった。ただ、実際にインド人は毎日毎食カレーを食べているのか、それとも外国人をもてなすためにインド最高の料理カレーを特別に提供し続けたのか、一体どちらだったのかはわからない。
 せっかくシンガポールに来たのだから、おおいにインド料理を楽しもうと妻と話していた。中華料理ならジャカルタにも掃いて捨てるほどある。いや、世界じゅう至る所にある。さらに、マレー料理はそれこそインドネシア料理と似ているので、いつでも食べられる。ハンバーガーだのフライドチキンだのは問題外だ。
 ここはグルメシティ(それにしてもシンガポールの魅力を宣伝するキャッチフレーズは多すぎる)だ。ふだん口にできないものを食するのは旅の楽しみでもある。ということで、僕たちのターゲットはまずはインド料理だった。ロティに加えて、朝食用の飲み物は、これまたインド由来のテータレを頼んだ。練乳入りのまろやかなミルクティーである。
 ここまではよかった。気持ちのいい朝の、家族三人(お腹の子を入れれば四人)揃っての楽しい食事になるはずだった。穏やかな妻の笑顔が、完璧な朝を象徴していた。
 すべてをぶち壊しにしてくれたのは、朝ごはんなどに興味がない息子君である。まず、テータレを派手にテーブルにぶちまけ、手づかみに失敗してロティを次々に床に落とし、挙句の果てにはドリアンを鷲摑みにすると顔の下半分に塗りたくった(おそらく頬張っているつもりだったのだろう)。
 妻の顔から笑みが消え、こめかみがピクピクしだすと、危険を回避する本能が働いたのか、息子はヨチヨチと別のテーブルへと緊急避難していった。お父さん、あとは頼んだよ、である。
 妻は小さなため息をつくと、グジャグジャにつぶされたドリアンを人差し指ですくって口に運んだ。大好物のドリアンをこれほどまでに不味そうに食べる妻を初めて見た。
「帰る」
 精いっぱいの冷静さを保った妻が呟いた。はっきり言って、これは良くない。要するに、爆発寸前なのだ。
 右手に揚げパン、左手にランブータンの実を握りしめて(心やさしいシンガポールの人たち。みんな、小さな子どもが大好きなのだ。でも、むやみやたらにエサを与えないでください)、勝ち誇ったように得意満面の息子が戻ってきたのを潮時に、僕らは席を立った。
 帰り道、妻は不気味に無言を貫き、僕に抱き上げられた息子は体を揺すり、オギオギと愚図って抗議した。こんな短い時間では散歩とは言えない、下に降ろしてくれと。
 でも、今はいったん帰ったほうがいい。息子のシャツはよだれとテータレでドロドロに汚れているし、まず何よりも妻を無事に帰す必要がある。短い距離だけど、極度の方向音痴である妻がマンションに一人で辿り着ける可能性は低い。
 気まずい雰囲気のままマンションの部屋に着いた途端、怒りの沈黙に沈んでいた妻が、ついに逆襲の口火を切った。
「なんて朝なの。楽しみにしていたロティはまったく食べられなかった。せっかくのカレーもテータレが入ってしまって台無し。ドリアンだって、ぐちゃぐちゃにされた。そもそもビニールパック入りのドリアンなんて美味しいはずないのよ。ねえ、ロティとドリアンを今すぐ買ってきて。熱々のロティと、正統的な殻ごとドリアン」
 僕に反論できるはずはない。なにしろ相手は僕の子どもを宿している妊婦だ。その嗜好と思考には文句をつけてはいけないという厳格なルールが存在するのだ。
「わかった。君のためにすぐに買ってくるよ」
 よかった、まだ靴を脱いでいなくて。僕はすぐさま踵を返すと、玄関のドアを開けて外に飛び出した。アブアブと息子の抗議の声が背中に届いたけれど、そんなことに構っている場合ではないのだ。
 小走りでフードコートに着く。朝食の時間帯が過ぎたのか、十五分ほど前にはあれほど混み合っていたのに、今は閑散としている。平日にのんびり朝ごはんを食べているヒマなどないのは、世界のどこでも同じなのだろう。
 特にシンガポール人は気が短く、せっかちな人が多い。例えば、歩行者用信号の横にはカウントダウンの数字が点滅し、あと何秒で色が変わるかがわかるようになっている。便利といえば便利だが、まったくせわしないものだ。また、エスカレーターのスピードは信じられないほど速い。大袈裟に誇張するとジェットコースター並みである。
 何をするにも効率を重視し、最短で終わらせようとするのがシンガポール人なのだ。食事もしかり、である。朝ごはんは五分以内に終わらせる、というルールがあるのかもしれない。
 僕はインド料理の屋台に直行すると、彫りの深い顔立ちをした親父に、
「ロティを三枚、持ち帰りでお願いします。カレーはチキン味で」と注文した。
 親父は眉をひそめ、僕をじっと見つめると、低い声で諭すように言った。
「ロティはもうない」
「ない?」
「そう。朝食用に用意しておいたロティは売り切れた。ロティを焼こうにもタネが無いのだよ。次のロティのタネは昼過ぎに娘婿が持ってくることになっている。午後のティータイム用のロティだ」
「わかりました。では、この辺りでロティを売っている別の店を教えてください。どうしてもロティを買いたいのです」
「別の店など無い。地下鉄に乗って次の駅へ行けばあるだろうけどな。しかし、もう朝食の時間は終わっているから、おそらくどこも同じようなものだろう。つまり、ロティのタネ切れ状態ということだ」
「そ、それは、と、とても困りますです」
 僕は慌てた。そして、藁にもすがる思いで必死に訴えた。シンガポール人の友人が言うところの「マレー人が話すような英語」を使って、なりふり構わず懸命に僕は嘆願した。
(補足説明をしておく。インドネシアでの生活が2年を過ぎたころ、久しぶりにシンガポールで会った中国系友人は「おいおい、どうしたんだ、その英語は? まるでマレー人が話す英語じゃないか」と呆れた。でも、僕はそう言われて嬉しかった。要するにインドネシア語訛りの英語を話すという意味で、いよいよインドネシア語が英語に影響を及ぼすほど自分のものになってきたと誇らしく感じたものだ)
「妊娠中の妻がロティを食べたいと訴えているのです。どうしても今すぐロティが必要なのです。ロティがないと、妻は落ち込んでしまうでしょう。それは、お腹の子に良くありません。妊婦の精神的ダメージは胎児に悪い影響を与えてしまいます。ロティを食べると妻はハッピーになります。お腹の子どもに良い影響が及びます。それに、ロティは、グルメシティ=シンガポールが誇る最高の朝食です。だからこそ、妻はロティを求めているのです。熱々のロティあれ、と」
 親父はじっと僕の話に耳を傾けてくれた。奥で皿洗いをしていた兄ちゃん達が、何事かと出てきて、親父の背後から僕を心配そうに見つめていた。
「なるほど、そういうことか」
 親父は短く呟くと、ケータイを取り出して電話をかけた。タミル語なのだろう。何を言っているかはわからないけれど、音楽のように響く親父の言葉を聞いていると、まるでインド映画の1シーンを見ているような気持になった。もっとも、交渉はうまくいかないようで、兄ちゃんたちが不安げに親父と僕を交互に見ていた。
 突然、親父が怒鳴りだした。どうやら話がもめているようだ。一段と声を荒らげて親父が怒鳴った。こんなシーンがむかし観たインド映画にあった。その後は電話を叩きつけて、外に飛び出すと、相手のいる場所に殴り込み、派手なケンカが始まるのだ。
 親父はもちろん電話を叩きつけることなどせず、オウオウと何度か頷くと、ようやく普通の声に戻って短く何やら言った。その瞬間、緊張した面持ちで親父を注視していた兄ちゃんたちの表情が崩れた。みんな、ホッとしたような笑顔になった。
 そして、いっせいに僕に向かって親指を立てたり、指を丸めてオーケーサインを出したりしながら、口々に(おそらく)タミル語で喜びの声をかけてくれた。
 まさにインド映画の1シーンそのものだった。そのままジャンジャガジャンジャガとインド音楽が大音量でかかって、いろいろなところからインド人が飛び出してきて、大勢で踊りだして僕を祝福してくれるかのような雰囲気だった。
 親父が深く息をついた。
「大急ぎでロティのタネを持ってきてもらう。娘婿はブツブツ文句を言っていたが、シンガポールの名誉とインド人としての誇りの問題なのだぞと一喝してやった。しかし、三十分ほど時間がかかる。そうだ、カレーを食べて待っていてくれ。昼食用のライスはもう炊いてある。ほら、そこに座って。ワシのおごりだ。シンガポールが誇るインドカレーを食べてくれ」
 親父は山盛りの御飯にカレーをたっぷりとかけ、鶏のもも肉やら野菜やらを添えて、ぼくの前にドンと置いた。断るヒマもなかった。
 そうだよな、こうでなければなあ、と兄ちゃん達が嬉しそうに頷いている。心やさしいインド人たち。そして、かわいそうな僕の胃袋。
「やっぱりインドのカレーは世界一ですね」
 愛想笑いをしながら、僕は必死に手づかみで汁気の多いカレーご飯を口に運ぶ。まるでインド人みたいだな、とインド人兄ちゃんが嬉しそうに言った。
 次第に額から汗が流れ始め、鼻水が垂れ、涙まで滲んできた。でも、この「鶏ももと温野菜添え本場インドの大盛り激辛カレー」を残すわけにはいかない。インド親父のやさしさの象徴なのだ。
 荒い息をつきながら何とか食べ終わった僕に兄ちゃんのひとりがお代わりを勧めてきたけれど、丁重に断り(ごめん、もうお腹いっぱいなんだ。また明日、食べに来るよ。この最高のカレーを妻にも食べさせてやりたいしね)、僕は顔の汗を拭いながらロティを待った。
 親父は誇りを持ってロティを焼き上げてくれた。三枚で充分ですと何度も言ったのに、六枚も焼いてくれた。三枚は僕の分だそうだ。
「どんな美味しいものでも、ひとりで食べては味気ない。ましてや、夫婦なんだから同じものを一緒に食べるのが自然だ。愛する人と美味しいものをともに食べることは人生の幸福のひとつだからな」
 そう言って、親父は丁寧にロティを包み、たっぷりのチキンカレーを持ち帰り用のビニールに入れてくれた。
「ナンドゥリ(ありがとう)」
 唯一知っているタミル語でお礼を言うと、
「おお、俺たちの言葉を知っているのか。それは嬉しいな。ところで、お前はチャイニーズではないよな。マレー語訛りの英語を話すチャイニーズなんて見たことも聞いたこともない」と親父が応えた。
「ジャパニーズです」
「おお、そうか、そうか。マレー人みたいな英語を話す、インドカレーが大好きな日本人なんだな。元気な赤ちゃんが生まれるよう、ヒンドゥーの神々に祈っているぞ」
 すると突然、インド音楽が鳴り響いた。どうしたんだ、ついに皆で踊りだすのか、僕も一緒に踊りたい気分だと心躍らせていると、なんのことはない、ひとりのインド兄ちゃんのケータイの着信音だった。なんだ、がっかり。
「ナンドゥリ、ナンドゥリ」
 何とかのひとつ覚えのように、ひとつしか知らないタミル語の単語を何度も繰り返して親父さんのもとを辞去した。
 とにもかくにも、これでようやくロティは片付いた。次はドリアンだ。しかも殻ごとの正統的なやつを探さなければいけない。
 でも、シンガポールでは殻から取り出され、ビニールパックに入れられたドリアンこそが正統的なのだろう。いちいち殻を割って(これが結構大変なのだ)ドリアンを食べるなんて、効率が悪すぎる。ドリアンを食べるのも最短で終わらせたいのが、せっかちシンガポリアンなのだ。
 焼きたてのロティとチキンカレーの袋を提げて、僕は市場をうろつき、ようやく殻ごとドリアンが積まれている場所を見つけ出した。
 華人の老人が番をしていた。
「甘いドリアンを選んでくれませんか」
 丁寧に頼むと、老人は黙って向かいの屋台に並べてあるビニールパックを指さした。
「殻ごとのを欲しいんです」
 僕は殻ごとドリアンの山を指さす。
 老人は怒ったように早口で中国語を喋りながら、しきりにビニールパックを指さす。売り物のドリアンはあの屋台にあるのだから、あっちへ行って買え、とでも言っているのだろう。
 僕は伝家の宝刀「マレー人が話すような英語」をキラリと抜いて、再度説明を試みた。インド親父と同じように、きっとこのドリアン老人もわかってくれるはずだ。
「妊娠中の妻がドリアンを食べたいと訴えているのです。しかも殻ごとドリアンを求めているのです。殻ごとドリアンがないと、妻は落ち込んでしまうでしょう。それは、お腹の子に良くありません。妊婦の精神的ダメージは胎児に悪い影響を与えてしまいます。ドリアンを食べると妻はハッピーになります。お腹の子どもに良い影響が及びます。それに、ドリアンは、グルメシティ=シンガポールが誇る最高のフルーツです。だからこそ、妻はドリアンを求めているのです。殻ごとドリアンあれ、と」
 あっちのを買え、と老人は指さす。
 そうではなくて、ここにある殻ごとのが欲しいんだ。あっちで買え。ノーノ―、ビニールパックはダメなんだ。あれを買え。ノーノー、こっちのが必要なんだよ。ドリアンはあっちにあるだろ。
 まったくかみ合わない。たとえマレー人みたいに話そうと、中国人みたいに話そうと、老人にはまったく英語が通じないのだ。
 こうなったら身振り手振りで説明するしかない。お腹が大きいジェスチャーをして、殻ごとドリアンに向かって手を合わせ、泣く真似までしたけれど、老人は頑として殻ごとドリアンには手を触れさせようとしなかった。
「世界は妊婦で成り立っているのですよ。妊婦がいないと世界は滅びてしまいます」
 やけになって叫びながら懸命にジェスチャーを続けていると、
「どうしたの?」
 と、マレーの民族衣装をまとったおばあちゃんが近寄ってきた。
 天の助けだ!
 このおばちゃんとはインドネシア語で話せる。インドネシア語とマレー語は例えれば東京弁と大阪弁のようなもので、おたがいにだいたいはわかるのだ。
 なによりも、シンガポールでは英語と中国語が主流で、マレー人社会だけでしか通用しない少数言語マレー語を外国人が話すことにきっと感動してくれるだろう。マレー語訛りの英語よりも数段インパクトが大きいはずだ。
 そして、このマレー人のおばちゃんは必ずや僕の味方になってくれる。しかも相手はブロークンな英語すら話そうとしない中国人だ。
 僕は事のいきさつをゆっくりと丁寧に説明した。マレー人が話すようなインドネシア語で。あるいはインドネシア人が話すようなマレー語で。
「あれえ、あんた、マレー語を話すんだね。偉大なるアッラー(神)に感謝を」
おばちゃんは予想通りの反応を示してくれた。それからは真剣な顔をして、ウンウンと頷きながら聴いてくれた。
「わかったわ。私に任せなさい。なんとかするから。インシャアッラー(神の思し召しがあれば)」
 そう言うと、おばちゃんは早送りのテープのようにドリアン売りの老人に言葉を浴びせ始めた。あまりにも早口なので何語を話しているのか、さっぱりわからない。おそらくシングリッシュ(シンガポール英語)だとは思うが、意外にも福建語かもしれない。
 シンガポール人は日常生活の中で複数の言語に触れているので、ある程度なら話せる言語がいくつかある。あるいは、おばちゃんは相手に構わずマレー語の方言であるジャウィ語を使っているのかもしれない。言葉など通じなくてもいい。気合いでわからせる、と。
 おばちゃんは怒涛のように畳みかけている。老人はタジタジとなりながらも反論するが、全く相手にならないのは明白だった。
 おばちゃんが声を高くして最後の言葉を放つと、老人は真顔になって、殻ごとドリアンを一つ二つと鼻に近づけては匂いを嗅ぎだした。甘く熟したドリアンを選んでくれているのだ。
 散々嗅ぎまわった老人は、やっとお目当てのものを見つけ出したというように、にたりと歯のない口をさらけ出して笑った。そして、誇らしげにそのドリアンを僕に向けて掲げた後、紐で持ちやすいように縛ってくれた。
「さあ、これでいいわね。愛しい人のところへ早く持って帰ってあげなさい。元気な赤ちゃんが生まれますように、偉大なるアッラーに祈っているわ。アッサラームアライクム(あなたがたに平安がありますように)」
 おばちゃんはさわやかな笑顔で去っていった。
 右手にドリアン、左手にロティとカレーを提げて、僕は駆けるように妻の待つマンションへ向かった。
 かなり時間を食ってしまった。ロティも冷めてしまった。こんなことなら、先にドリアンを買うのだった。妻はイライラして待っていることだろう。散歩を中断された息子が、外に連れて行けと愚図っているかもしれない。そうすると妻はますます苛立って……。
 汗をかきながら僕は足を速めた。いや、速めようとした。でも、大盛りインドカレーで満腹の体は重く、思うように歩けない。激辛カレー味のゲップが何度も出てきた。これは強烈だ。く、くるしい。
 はあはあと荒い息をつきながら必死に前進していると、急に空が暗くなり、突然スコールが襲ってきた。信じられないほどの天候の急変だった。それこそバケツをひっくり返したように、目の前も見えないほどの大雨が急に降り出したのだ。
 あと百メートルほどで妻の待つマンションに到着するところだった。バス停で雨宿りをしながら、僕は恨めしそうに目指すマンションを見上げていた。
 体はびしょ濡れになった。それでも、左手に提げたロティは咄嗟にシャツの中に隠したので、なんとか無事だった。苦労して手に入れたロティを台無しにするわけにはいかない。それに、このロティはインド親父の誇りが焼きこまれている特別なものなのだ。
 スコールは止まない。僕はイライラしながらその場足踏みを続け、雨が止めば直ちに飛び出せる準備をしていた。こんな時の時間は恐ろしくゆっくりと過ぎる。2時間も待たされたと感じても、実は数分しか経っていないものだ。だから、どのくらいの間、そうしていたのか、僕には正確な時間はわからない。
 結局、僕は雨が止むのを待ちきれず、シャツの中にロティを隠し、前屈みの姿勢でスコールを背中に受けながらバス停を飛び出した。そんなエビみたいな格好で百メートルを全力疾走するつもりだった。右手に提げたドリアンが右足のふくらはぎにゴツゴツとぶつかって痛い。
 なんだって、ドリアンの殻はろくでもない棘を突き出しているんだ。どうして妻は、こんなふざけた殻のついたドリアンを欲しがったんだ。正統なんて嫌いだ。異端の何が悪い。
 全身ぐしょ濡れ、靴の中まで水浸しにして、それでもロティを守り通した僕は、息を切らせてマンションの玄関に辿り着いた。その途端に雨が小降りになり、ぐったりとしながら息を整えているうちに雨が上がり、さて部屋に行くかと体を伸ばした時には、南国の熱い太陽が再び顔を出していた。
 すっかり遅くなってしまった。ロティは水浸しにはならなかったけれど、完全に冷え切っている。部屋に戻ったら、すぐに温めなおすしかない。それは正統的なロティではない、と妻は拒絶するかもしれないけれど。
 いずれにしても僕はベストを尽くしたのだ。人事を尽くして天命を待つ心境で部屋のベルを鳴らした。
 ドアを開けたのは、もちろん妻だった。濡れネズミの僕を見て、妻は大きな目を丸くして驚いたけれど、次の瞬間にはニッコリと素敵な笑顔を向けてくれた。
「早く中に入って。すぐに熱いシャワーを浴びるといいわ。風邪を引かないでね」
 穏やかな優しい表情の妻だった。
 妻はその日ずっと機嫌がよかった。
「動物園へ行って猿が見たい」と言うので、ロティを弁当にして僕らは出かけた。猿を眺めながら、冷め切ってパサパサのロティを冷たいチキンカレーに浸して、それでも妻は美味しそうに口に運んだ。
 カレーはもうこりごりだと感じていた僕も同じようにロティを食べた。幸せそうな妻と一緒ならどんなものでも美味しく感じるものだ。愛する人と美味しいものをともに食べることは人生の幸福のひとつだ、とインド親父も言っていたではないか。
 息子もおとなしく一枚のロティをずっと握りしめ、時おり思い出したように口に運んだ。そして最終的にその一枚のロティを食べ切った。サルたちまでが手を伸ばしてロティを欲しがった。さすがはインド親父の誇りが焼きこまれた特別なロティだ。
 動物園から満足して帰ってくると、今度は三人でドリアンを食べた。ジャカルタでは滅多に目にしないバンコックドリアンを僕たちは堪能した。妻は殻にこびりついているのまで、いとおしそうに指ですくって舐めていた。息子はドリアンよりもその指を舐めたがった。
 僕がロティとドリアンを買って帰ってきてから、妻は常に笑顔を浮かべ、何度も声をあげて笑った。世界は幸福に満ちているという表情を浮かべていた。その表情はシンガポール滞在中ずっと続いたのだった。僕にとっては何よりも嬉しいことだった。来てよかったと心底思ったものだ。家族の絆を強められた素晴しい旅行だった。
 あと三か月ほどでお腹の子が生まれてくる。そのあと1年近くは育児に忙殺されるだろう。1歳半年上の息子もまだまだ手がかかる。今回、無理をしてでもシンガポールに来て、本当によかった。
 インドネシアに戻る飛行機の中で、ふと妻が不思議そうな顔をして訊いてきた。
「そういえば、あの朝、どうしてわざわざロティとドリアンを買いに行ったの?」
 妻の話によると、朝食を終えて戻ってきたばかりだというのに、突然僕は何を思ったのか「熱々のロティと殻ごとドリアンあれ! 君のためにすぐに買ってくる」と叫んで外へ飛び出して行ったという。
 奇妙な話だ。妻はどうしてそんな思い違いをしているのだろう。まったくもって不可解だ。
 でも、あの日のことは今となっては楽しい思い出のひとつとなっている。今さら妻の記憶違いを指摘して修正することに何の意味があるだろう。熱々のロティと殻ごとドリアンあれ! 僕はそう叫んで、フードコートまで駆けて行ったのだ。
「どうしてロティとドリアンを買いに行ったかだって? もちろん、君に食べさせたかったからだよ」
「うん、ありがとう。とっても美味しかった」
 妻はとても幸せそうに見えた。
 機内食を食べてしまうとすっかり退屈して愚図りだした息子をトイレに連れて行って、洗面台で水遊びをさせ、トイレットペーパーを1個丸ごとカラカラと引っ張り出させ(ガルーダ航空の皆様、ごめんなさい)、ようやく満足してウトウトしだした息子を腕に抱えてジャカルタ到着を待った。
 僕たち家族のシンガポール旅行がいよいよ終わろうとしている。

 あれから十三年が経つ。あの時お腹にいた娘はもうすぐ小学校を卒業する。マレーおばちゃんが偉大なるアッラーに、インド親父がヒンドゥーの神々に、元気な誕生を祈ってもらった子だ。
 それにしても、もう12歳である。あっという間に月日が経ってしまった。息子が中学に入学したての頃は「汗が獣じみてきて臭い」と酷いことを言っていた妻が、娘に関しては「大人の女同士として話ができるようになった」なんて喜んでいる。
 もちろん12歳ともなれば、ずいぶん生意気なことも言うようになった。「大きくなったらお父さんとケッコンする」と宣言していた子が「一体お父さんのどこが良くて、お母さんは結婚を決めたの?」なんて訊いている。
 まあ、それでもまだかわいいほうだ。そのうちに「父親とは口も利きたくないオーラ」を発散させるようになるに違いない。もうすぐ父親は相談相手どころか、話し相手にもならなくなるのだ。
「あの日のことは覚えているよ」と娘が言った。
 僕たち家族はその時もまだジャカルタに暮らしていて、今度の休暇にシンガポール旅行を計画していた。そこで、十三年前の「ロティとドリアン事件」を話して聞かせたのだった。
 娘があの日のことを覚えている? どういうことだ。まだ生まれてもいなかったのに。1歳だった息子ですら記憶はないはずだ。
「私がお母さんの口を借りて、ロティとドリアンを買ってくるように命令したんだよ。お父さんがどれだけお母さんのために一生懸命になれるか試したかったの。本当に買ってきてくれて、お母さんと一緒に大喜びしたんだよ。ねえ、お母さん」
 あははは、そりゃあいいや、と声変わりをした息子が太い声で笑う。
 荒唐無稽の、とても信じられない話だけれど、もし本当だとしたらいろいろなことの辻褄が合うようになる。ロティとドリアンを持って帰ってから、妻がずっと機嫌がよかったこと。まるで世界は幸せに満ちているというような表情をしていたこと。自分でロティとドリアンを買ってきてと頼んだ記憶がないこと。
 現実味はないけれど、僕は娘の話を真に受けることにした。だって、そのほうがずっと面白いじゃないか。お腹の子が父親を試すなんてね。あはは、そりゃあいいや。
 ロティを焼いてくれた親父、ドリアン売りの老人、そして親切なおばちゃん。僕はシンガポールの人たちに助けられて、娘が与えた試練をどうにか乗り越えたということらしい。

                           おわり

 *追記1 「マレー人」という言葉について
 文中にインド人・マレー人・中国人と書かれていますが、正確には、インド系シンガポール人・マレー系シンガポール人・中国系シンガポール人のことです。ただ、表記が長くなるのと、シンガポール人ではなくてそれぞれの民族の文化背景を際立たせることが目的だったので、民族名で○○人と書くことにしました。例えば、カレーについての話なら、インド系シンガポール人よりもインド人としたほうがカレー文化との関連性がわかりやすいと思ったのです。
 また、マレー系シンガポール人の省略形として「マレー系」とすることもできます。実際に文中でそうした部分もありました。朝のフードコートの描写で「中国系、インド系、マレー系がひとところで朝食を楽しんでいる。実にシンガポールらしい光景だ」と書いた部分です。ただ、ここではシンガポールという国を意識したうえで、その国を構成する民族を紹介しようという意図からそのような表記を取りました。
 結局、全体を通して「マレー人」「インド人」「中国人」としてしまいましたが、それですべてを統一することもできず、どのように書けばよかったのかと今でも悩んでいます。
 民族と国籍がほぼ一致する日本人にとっては慎重に言葉を選ばないといけないと思うのですが、なかなか正解に辿り着けません。
「アイヌ系日本人」という言葉がないように、「アイヌ」とは日本人(日本国籍を有している)であることが前提条件の言葉のようです。琉球民族という言葉はありますが、日常生活では「沖縄県民」を使います。また、22年10月2日付けの朝日新聞で「参院選に挑んだ『コリア系日本人』 金泰泳さんが探る在日の新しい姿」という記事がありましたが、コリア系日本人という言葉は在日コリアンへの差別と闘うなど特別な場合のみ使われるように思います。コリア系日本人2世という言葉もあり得るので、これから目にするかもしれません。
 ちなみにインドネシアでは平気で「ジャワ人」「スンダ人」「バリ人」など同一文化圏の民族を○○人と呼びます。でも、大前提として「みんな、インドネシア語を国語とするインドネシア人」と考えているからこそ、そういう言いかたが成り立っています。
 ややこしい問題ですね。これからも考えていく課題としておきます。マレーシアについて書きたい題材があるので、その時にまた悩んでみます。

追記2 「マレー語」という言葉について
 シンガポールで話されているのは「マレー語」です。でも、まったく同じ言語がマレーシアでは「マレーシア語」となります。当然のことですよね。マレーシアの国語だからマレーシア語です。インドネシアの国語がインドネシア語、日本の国語が日本語となるのと同じ理屈です。
 ただ、ややこしいのはシンガポールの国語は、なんとマレー語なのです(もともとシンガポールはマラヤ連邦、そしてその後のマレーシアの一部だったから)。だから、シンガポール国歌「Majulah Singapura(進めシンガポール)」もマレー語です。
 でも、国語であるマレー語のことをシンガポール語とは呼びません。なぜなら公用語のひとつである英語こそがシンガポールでは国民をまとめる共通語として使われているからです。
 国語も公用語も共通語も、さらに言えば母語も完全に一致している大多数の日本人にはシンガポールの状況はわかりにくいと思います。ただ、大多数の日本人(大和民族と呼んだ方がいいのか)がそうであるように、国民の母国語と母語が一致している国は世界では少数派でしょう。私の子どもは母語がインドネシア語、母国語が日本語です。妻は母語がスンダ語、母国語がインドネシア語です。

 *追記3 インド映画について
 文中にインド映画の特徴を「ケンカと踊り」とするような記述が見られますが、インド映画を揶揄するものでは決してありません。僕はインド映画が大好きで、タミル語ロマンチックコメディ「ムトゥ 踊るマハラジャ」(1995)を観てから現在に至るまで、多くのインド映画を楽しんできました。なによりも観客をとことん楽しませようという娯楽性が強いのがインド映画の特徴で、ケンカと踊りもその一環なのです。
 ちなみに、長年暮らしたインドネシアでは、インド映画の人気は根強く、ジャカルタに数多くあった映画館のどこかで必ず上映されていました。テレビでも毎週何作かは放映されていたほどです。題名を忘れてしまいましたが、日本を舞台にしたインド人カップルの恋愛を描いた映画がおもしろかったのを覚えています(こういうのはネットで検索すれば、すぐに調べがつくのだろうけれども、面倒くさいので曖昧情報のままにしておきます)。
 映画は非日常空間の大きなスクリーンで観るものだ(つまり、映画館で観るのが正道だ)と考えているので、日本ではなかなかインド映画を鑑賞する機会はありません。それでも僕がよく足を運ぶ狸小路にあるミニシアター「シアターキノ」で時おりインド映画を上映してくれます。近年観たのは「きっとまたあえる」(2020)・「ガリーボーイ」(2019)・「あなたの名前を呼べたなら」(2019)等です。どれも面白かったのですが、面白さの性質が「踊るマハラジャ」とは異なっています。
 昔に比べてインド映画は明らかに様変わりしました。マハラジャが踊っていたころのインド映画といえば「歌と踊りの豪華シーンが入り、いろんな娯楽要素がてんこ盛りで、3時間たっぷり映画が見られて料金に見合う満足感を与えてくれる」(アジア映画研究者の松岡環)ものでした。多数の貧困層を含めた庶民のための最大の娯楽として、映画は観客をとことん喜ばせることを使命としていたのです。
 ところが、ここ20年ほどで「踊らない、歌わないインド映画」が増えてきました。その理由は、前述の松岡氏によると、経済成長にともなってシネコンが普及し、ある程度の料金を払って映画を観る層が急増した。この層の人たちは「娯楽要素てんこ盛り」の映画を求めていない。ハリウッド映画のような面白さで充分だと考えている。だから、ジャンル映画が多く作られるようになり、「踊らない歌わないインド映画」へと変わっていった、ということのようです。 
 歌と踊りがなくても最近のインド映画は面白い。ド派手なケンカをして、大勢で踊って、主役が恋を歌うという昔の映画もよかったけれど、今のインド映画はそれよりもよりもずっと面白くなっています。ストーリーと演技で見せてくれるのです。ぜひぜひ一度ご覧あれ。

記:英語科 佐々木晋