私の受験体験記

 札幌に下宿して高校に通っていた私は、高校卒業後も同じ下宿に留まり、親から離れて浪人生活を送ることになった。これは実に幸運なことだった。親には重々感謝しなければならない。というのも、自分のやりたいように勉強するために自分のやりたいように日々を過ごしたかったので、親が近くにいれば必ずやアレコレと口出しされ、それが大きなストレスとなること必定だったからだ。
 受験勉強を始めるに当たって、まず入試での目標点を設定した。具体的な目標がなければ、それこそ闇雲に勉強することになる。それでは無駄が多くなってしまう。まずは自分が目指す点数をはっきりと決めたい。
 理想は余裕をもって合格することだが、なにはともあれ最低点をクリアすることが絶対条件だ。そもそも最低点で受かろうともトップで合格しようとも、合格に変わりはない。受かってしまえば入試の得点など関係ないのだ。
 さて、調べてみるとどうやら入試で半分取れば合格しそうだった。念のために10点だけプラスして、440点満点で230点取れば合格できると踏んだ。この230点を取るために次に各科目でどれだけの点数が必要になるかを設定した。目標点の想定はここまでやらなければ意味がない。全体で何割取ればいい、で終わらずに、各科目でどれだけ取ればいいかを割り振るのだ。
 目標点230点をこう分配した。英語は得点源なので120点中110点、前年の理系入試で思ったよりできた数学は80点中40点。英数だけでもう150点にもなった。あとは日本史と政経合わせて120点のうちの50点、国語120点中30点でめでたく合格点に達する。
 なんだかとても簡単なことのように思えた。なあんだ、そんなんでいいのか。楽勝じゃないか。
 いま冷静に振り返ると、いくら得意科目とはいえ英語の110点はあまりにも高く設定し過ぎたが、当時は本気でそれだけの高得点をたたき出すつもりでいた。自信過剰であったとも言えるが、とかく挫けそうになることの多い受験勉強では、自信を持つことは重要である。たとえ根拠のない自信であろうとも、苦しい受験期にある自分を自分で支えるためにも、自分を信じる気持ちは最後まで持っていたい。
 英語はトップで合格する。そう気合を入れ直した。英語でガツンと取れば、国語なんて30点取ればいいだけだ。そこで、苦手だった古文と漢文はハナから捨てることにした。どうしても興味が持てない分野なので、無理にやっても時間ばかり食って得点には結びつかない、と春の段階で見切りを付けたのだ。これもいま冷静に見れば、無謀といえば無謀だが、最大の利点は大いに気が楽になったことである。やったあ、古典を勉強しなくてもいい。なんと晴れ晴れとした気持ちになれたことか。
 さあ、準備は整った。しっかり勉強するぞ。予備校に通うけれど手続き支払い等すべて自分ひとりでやる、と言いくるめて親から出させた1年分の予備校費は心強い味方だった。いくらでも本が買える。勉強のために必要な書籍にお金をケチっては決していけないのだ。
 春から夏まではそれこそ自分のやりたい科目だけをやりたいだけやることにした。つまり、英語だけを朝から夜遅くまで勉強するのである。朝はまず英語新聞ジャパンタイムスを熟読することから始めて、好きなアメリカのハードボイルド小説のペーパーバックを乱読し、通訳ガイド試験の問題集を繰り返し解き、ラジオで「英語会話」と「百万人の英語」を毎日聴いた。週末には外国人が集まるパーティにちょくちょく顔を出して英語で話すことを錆びつかせないようにした。街を自転車で走るモルモン教の宣教師たちを捕まえては、彼らの教義について英語で喧嘩を売るのを楽しみにしていた。でももちろん、それは若気の至りの悪趣味でした。ごめんなさい、心やさしい若きモルモン教宣教師の皆さん。本当に申し訳なかったけれど、実に緊張感のある実践練習になりました。ありがとうございました。
 好きこそものの上手なりと言うように、いくらでも英語学習には没頭することができ、夏には目指していた英検1級に合格できた。順調に英語の勉強は進んでいたが、英語だけに時間を割いていることに次第に不安になってきた。なにしろ文系に進路変更したばかりで、日本史と政経はほぼ初心者である。何もしないで夏を迎えるのだけは避けようという気持ちに傾いた。
 そこで、日本史はまず山川の教科書を読むことから始めた。ところが、線を引きながら読んでもさっぱり頭に入ってこない。そのうちに嫌になってやめてしまった。とにかくつまらないのだ。まったく興味が湧かない。いくら教科書とはいえ、初心者にとっては細かすぎて日本の歴史の大きな流れが掴めないではないか。それに、赤本で過去問を確認すると、細かい知識は必要ないことが分かった。必要ないことはやらない。ただでさえ英語以外に時間を割きたくないのだから、無駄なことをやっている場合ではないのだ。ちなみに、最後まで日本史の細かい知識はなかったので、共通一次試験は日本史ではなく倫理社会で受験した。政経と倫理社会である。当時はそのような科目選択が許されていて、倫理社会を取る生徒が多かった。
 日本史をどうしようと悩んだ末に、まずは日本史の大枠を把握するのに集中することにした。そのためになるべく短くてわかりやすいテキストを探すと、外国人用に英語で書かれたジャパニーズヒストリーに行きついた。これなら大雑把な流れが日本史の超初心者にもわかりやすく書かれているし、ついでに英語の原書を読むことになるので一石二鳥だった。すべて英語なので苦手の漢字に悩まされることもない。そうやって英語を利用して日本史を勉強していくと、次第に歴史も面白いものだと興味が湧くようになった。
 政経は有斐閣の本を読んでいった。なかでも日本国憲法の入門書はおもしろかった。天皇制について書かれた章は感心しながら読んだものだ。正確には記憶していないので要旨になるが次のように書かれていた。
「日本国の象徴たる天皇は日本国憲法の精神を具現化しなければいけない。まず、憲法で男女平等が定められている以上、男性女性分け隔てなく天皇に即位できるべきである。また、職業選択の自由が憲法で保障されている以上、天皇の退位の自由を認めるべきである。そうやって、天皇が次々に退位していくと天皇制が維持できなくなるかもしれないが、天皇制は個人の自由意志によって自然消滅するのがいちばんいいと私は考えている」
 そうか、そういう考え方もあるのかと刺激を受けて、あれこれと有斐閣の本を買い揃えた。そうやって政治やら経済の本を読んでいれば、国語力も付くだろうと楽観していた。
 そんなことをやっているうちに夏が来て、ひと休みすることにした。すでに大学生となった友人たちが札幌に帰省してきて、私はといえばずっとひとりで孤独に勉強ばかりやってきたので人恋しさもあって、毎日一緒に遊びまわって過ごした。支笏湖まで自転車で行ってキャンプ、なんていう冒険もあった。親から詐取したお金の大半がこの時期に消えてしまった。
 さて、涼しくなって、いよいよ本格的に受験勉強を始める時が来た。夏までは好き勝手にやりたい勉強をしてきたけれど、ここからは正に受験勉強だ。夏が終わってからが勝負。秋から始めれば充分間に合う。そして、何よりも重要なのは冬になってからのスパートだ。この時期が最も力がつくはずだ。
 私は一心不乱に受験勉強に没頭した。過去問を何度も繰り返し解き、必要な(つまり試験に出る)ことだけを徹底的にやった。予想問題や類似問題があれば本番だと思って解いた。そして何度も重要点を確認した。
 時には挫けそうになり、辛さから逃げ出したくなり、自分はなんて不幸な人間なんだと暗い気持ちになった。それでも、今この瞬間にも日本じゅうに散らばるライバルたちが目の色変えて勉強しているぞと自分に言い聞かせて、気力を奮い立たせた。
 あれもやらなければ、これもやる必要がある、と次々と課題が浮上してパニック気味になったこともあったけれど、そんな時は優先度順に紙に書きだし、上からひとつずつ消化していくようにした。あれもこれもと気を散らすのが一番まずい。ひとつずつ、今やっていることに集中して、ほかのことは考えない。 とはいえ、結局最後は時間が足りなくて、いろいろなことをやり残したまま東京へ発つことになった。それでも、自分はやれるだけのことを精いっぱいやったと感じていた(あるいは自分で自分に言い聞かせていた)ので、入試では自分の最大限の力が出せたと思っている。                             おわり
記:英語科 佐々木晋