初雪スノウマンと2ドル札

 アメリカの高校に留学していた時のことだ。
 11月のある日曜日、目が覚めた時には外の景色が一変していた。夜中のうちに初雪が降ったのだ。しかもかなりの降雪量だった。
「ススゥム、あなたに頼みたいことがあるの」
 ホストマザーが教会へ行く準備をしながら話しかけてきた。二音節目にアクセントを置くススゥムという呼び名は、自分ではない別の人の名前のように聞こえる。あるいは、アメリカにいるぼくは、日本にいた時とはまったくの別人になっていたのかもしれない。
「モーガンさんの家のまわりを雪かきしてくれないかしら」とホストマザーが頼んできた。
 モーガンさんは身寄りのない独り暮らしの老人だ。もう退職して久しく、今は年金で細々と暮らしているらしい。
 モーガンさんのような独り暮らしのお年寄りを世話するボランティア団体がこの町にもあった。週に一度、ハンバーガーとフレンチフライの夕食(ルートビア付き)を届けたり、教会での催し物に招待したりする。もちろん、いちばん重要なのは安否確認で、毎日のように電話をかけては、話ができる状態かどうかをチェックしているようだ。
 ホストマザーもその『独居老人を支える会』の一員で、近所に住むモーガンさんの担当になっていた。日曜日の夕方にはサンドイッチを届けることになっている。モーガンさんはなぜかハンバーガーが大嫌いなのだ。
 初雪がいきなりの大雪となった日曜の朝、モーガンさんの家のまわりを雪かきする必要がある。ホストマザーとしてはすぐにも雪かきをしてやりたいが、日曜日なので教会に行かなければならない。そこで、教会とは無縁のぼくに雪かきを頼んできたのだ。
 確かにぼくは日曜の午前中はヒマだ。ホストファミリーが教会に行っている間、ひとりで家に残される。だから、雪かきは快く承諾した。ボランティア団体といえども、まず優先すべきは日曜日の礼拝だ。雪かきのために教会を休むわけにはいかないのだ。
 みんなが教会へと行ってしまうと、ぼくはモーガンさんの家まで歩いていき、さっそく雪かきに取りかかった。家の前の歩道と、車庫・玄関へと続くドライブウェイに積もった雪をどけていく。たいした仕事量ではなかったけれど、ひととおり終わるころには汗をかいて息も荒くなっていた。
 町の住民の大半が教会で賛美歌を歌ったり説教を聴いたりしている時間だ。だから、ここでは人の声はまったく聞こえない。車も通らない。静けさに包まれた日曜の朝、自分の荒い息づかいだけが耳に響いていた。まるで世界にいるのはぼく一人であるかのように。
 すべての雪かきを終えて帰ろうとした時、玄関からモーガンさんが顔を出した。
「ありがとう。助かったよ。わしはもう雪かきすらできない体になってしまった。まったく情けないことだ。ところで、この老いぼれの頼みをきいてくれないか」
「なんでしょうか」
「初雪でスノウマンを作ると願い事が叶うと言うじゃないか。わしのために、この初雪でひとつこしらえてくれんか」
 ぼくはもちろん快く承諾した。教会に行かない日曜日の午前中はまるまるヒマだし、お年寄りに頼まれれば自分のできる限りのことをするべきだ。お年寄りのために自分の時間とエネルギーを使うことを惜しんではいけない。それくらいキリスト教徒でなくてもわかる。当たり前のことだ。
 ぼくはすぐにスノウマン作りにとりかかった。大雪が降ったおかげで、大きなスノウマンをいくつでも作れるだけの雪が積もっていた。まず土台となる足をしっかりと作り、その上に胴体を重ねる。最後に頭をのせようとした時だった。モーガンさんの声が響いた。
「いいぞ、トム。もう少しで完成だ」
 ぼくはゆっくりと頭を胴体の上に置いた。
「すばらしいスノウマンだ。さすがトム、わしの自慢の息子だ」
 モーガンさんの声も身体も震えていた。鼻からは水がぽたぽたと垂れていた。
「モーガンさん、寒いから家の中に入ってください。風邪をひきますよ」
「その呼び方はなんだ。ダッドと呼びなさい」
 どうやらモーガンさんはぼくのことを息子のトムと間違えているようだ。いや、ちょっと待てよ。そもそもモーガンさんには身寄りはないはずだ。トムというのは……。
 ぼくはスノウマンにモーガンさんが用意したオレンジの目とニンジンの鼻をつけた。いかにもアメリカ風のヤンキースノウマンになった。それから、モーガンさんに招かれて、家におじゃますることにした。モーガンさんは熱いココアを淹れてくれた。そして、ニコニコしながら、ココアを啜るぼくを見つめていた。
「モーガンさんは教会へは行かないのですか」
 沈黙に耐えられず、思わずそんなことを訊いてしまった。
「ダッドと呼びなさい」モーガンさんは笑顔で答えた。「昔、神はわしに残酷な試練を与えた。それ以来、わしは教会には行っていない。神を恨んでいるのではない。自分なりの方法で神と向かい合っているだけだ」
 残酷な試練? それは天涯孤独の身となったことと関係があるのだろうか。おそらくトムに関わることなのだろう。
 いかにも時代物の重厚な味がするココアを飲み終わって、いとまを告げると、モーガンさんは曾祖父から譲り受けたような古くさい財布から震える手でお金を抜き出した。
「トム、小遣いだ。マクドナルドに行くんだろう。これでハンバーガーを食べなさい」
 モーガンさんはそう言うと、ぼくの手にお札を押し込んだ。
「雪道だから運転にはくれぐれも注意するんだぞ。わかったな、トム」
 モーガンさんは真剣な顔でそう諭した。
「わかったよ、ダッド」ぼくは思い切って言ってみた。「雪道には充分に気をつけるよ」
 ぼくはトムになって家を出た。息子のふりをしたほうがいいと思った。現にモーガンさんは嬉しそうに笑顔でぼくを見送ってくれた。
 モーガンさんがくれたお金は、皺くちゃで擦り切れた古いお札だった。印刷がかすれているほどだ。しかも、初めて目にする2ドル札だった。そんな中途半端な金額のお札があるなんて、それまで知らなかった。
 まるで別の世界から迷い込んだかのような古びたお札を手に、ぼくは誰もいない家に戻り、自分の部屋で自分なりの方法で神に向かって感謝した。教会には行かないけれど、神に感謝するくらいはぼくにでもできる。
 その日の夕方、ハムとチーズのサンドイッチを届けに行ったホストマザーが、モーガンさんが亡くなっているのを発見した。
 ホストマザーによると、モーガンさんは安らかな顔でベッドに横になっていたという。最近体調がすぐれず暗い表情ばかりだったので、その明るい死に顔に驚きさえしたらしい。
「まるで祈りを捧げているかのように、両手が胸元で組まれていたわ」
 モーガンさんに最後に会った人物として、ぼくは警察からあれこれと訊かれた。もちろん、すべてに正直に答えた。トムのことも、スノウマンのことも、ココアのことさえも。
 ぼくは、くしゃくしゃの2ドル札を取り出して、モーガンさんのことを想った。
 モーガンさんは孤独な人生の最後に、ひとつの望みを神ではなく初雪スノウマンに託した。この世でもう一度だけトムに会いたいという願いだ。
 あのとき確かにモーガンさんは何十年か前の世界に遡り、息子と再会していたのだ。スノウマンを完成させたトム。昔のココアを啜るトム。小遣いをもらってハンバーガーを食べに行くトム。雪道だから運転にはくれぐれも注意するんだぞ。わかったな、トム。
 ぼくは2ドル札を大切に保管することにした。とてもマックのハンバーガーなんかに使うわけにはいかない。子を想う親の気持ちがつまった2ドル札なのだ。
 モーガンさんの家の前のスノウマンは、オレンジの目とニンジンの鼻をカラスに突かれて食べられ、さらに翌日に気温が上がったせいで、見るも無残に崩れ落ちていた。
 スノウマンが跡形もなく消えてしまうまでに、モーガンさんについて新たな事実が明らかになった。警察の話によると、モーガンさんにはトムという息子など存在しないということだった。そもそも一度も結婚していないという。しかも親戚がひとりもいない、まさに天涯孤独の身だったことが判明した。
 といっても、当時高校生のぼくにとっては、それほど重要なことではなかった。不思議な体験をしたものだとは思ったけれど、アメリカでの留学生活はとにかく楽しくて、クリスマスのころにはモーガンさんのことなどすっかり忘れていた。同じように2ドル札への興味も急速に失って、その後あの2ドル札はどこかに紛れて失くしてしまった。
記:英語科 佐々木晋