小中学生成長よもやま話――長年塾生やわが子を育て指導してきた立場からーNo.5「伴走者」ということ

 マラソン競技の練習場面などで、選手の脇を走るコーチを目にする。いわゆる「伴走者」だ。共に走る者と書くように選手と一緒に、その状態を見ながら走ることはもとより、選手の実際のコースの状況などを見て細やかなアドバイスをする。
 受験生にとってもこの「伴走者」の存在はきっと有意義に違いない。受験生の日常を見て、その学習方法、時間の使い方など客観的な視点から細やかに見て速やかにアドバイスできれば、限られた時間の中での学習はとても効率の良いものになるはずだ。
 予備校内での「伴走者」、それは担当クラスの生徒の状態を心してみる「担任」ということになる。勿論この「担任=伴走者」を完璧に遂行していくことは担任側にとっても日々の努力目標になっている。
 受験者とその伴走者との連携がうまくいったとき大いなる結果がついてくることをいつも目にしている。
 翻って子どもに対しての接し方、これも親は「伴走者」なのだろうと思う。自分が過ごしてきた子育て期、伴走者としては、子どもと共に小学生の時は小学生、中学生になれば中学生、その後も子どもの成長と共に第二の子ども時代を再体験(追体験)してきた。これは結構面白い体験で、ともすると子どもの年代になり切っている自分がいたりした。
 成長のプロセスは一般的に、経験している既知の内容、「あのときはこうだった」と思いながらゆとりをもって客観的に見ることができる分、子どもへのアドバイスや先輩としてのリードも経験に裏打ちされて進められるはず?しかし現実にはどうもそうはいかないようだ。
 親となると、とかく子どもをきちんと成長させなければという「責任」がまず念頭に来て、いわゆる「頭ごなし」や「上から目線」、気が付くと命令口調など、わが子を何とか「できる子に」と思うあまりつい「力こぶ」が入ってしまう。
 「親業」行使の前にまずは彼らの今(の年代)に自分を置いて、自分が体験してきた子ども時代をわが子に重ねながら一緒に現在を味わうことが「伴走者」としての「親業」なのだと思う。
記:事務局 福島喜久