バベルの塔よ、もう一度
1 昔むかし、日本人はみんな英語を勉強した
2073年3月3日。
今日は、ぼくの誕生日。しかも、特別な誕生日だ。ついに12歳になったんだ。
これで晴れて電動三輪車に乗ることができる。この日をどれだけ待ち望んでいたことか。
両親からの誕生日プレゼントは最新型の電動三輪車だった。3分の充電で最長200キロまで走れる。最高時速は80キロ。
さっそく外で乗り回したかったけれど、そうもいかなかった。
おばあちゃんが家に来ているんだ。
ぼくの誕生日を祝うために、おばあちゃんはわざわざ遠くから来てくれた。そんなおばあちゃんを放っておいて、遊びに行くわけにはいかない。
久しぶりに会ったおばあちゃんは、絵に描いたような『やさしいおばあちゃん』だった。
「誕生日おめでとう、まこと」
おばあちゃんが赤いリボンのかかったプレゼントを差し出した。
父さんと母さんが笑顔で拍手する。
おばあちゃんからのプレゼントは小さかったけれど、ずしりと手に重たかった。いったい何が入っているのだろう。
リボンをはずし、箱を開けてみた。
中身を見たぼくは絶句してしまった。どう反応すればいいのかわからなかった。
箱から出てきたのは、奇妙で不思議なものだった。ペラペラに薄い紙が大量にとじられていて、どの紙にも小さな文字がびっしりと並んでいる。どういうわけか、英語と日本語が入り混じって書かれていた。
父さんが「おっ」と声を出して、身を乗り出してきた。
「ホンじゃないか。なつかしいなあ」
母さんも目を輝かせて、
「本物のホンよね。久しぶりに目にしたわ」と、うれしそうな声をあげた。
ホン?
なんだい、それは?
今ではもう存在しない、大昔のものにちがいない。父さんと母さんでさえ、なつかしがっているのだから。
ぼくはもちろん初めて目にする。ホンという単語すら初めて耳にした。ぼくはホンを手に取って、不思議な気持ちで見つめていた。
字が書かれているのだから、これは読むためのものなのだろう。昔の人は紙なんかに書かれた文字を読んでいたのか。それじゃあ、読みにくくてしようがなかっただろうに。
おまけに、こんな小さな文字だ。字の大きさを調節する機能もついていない。不便なものだな。
どうして日本語と英語が入り混じって書かれているのだろう。これでは自動翻訳するのも面倒だ。なんのために、こんなややこしい書き方をしているんだ。
何が書かれているのかと、ぼくはパラパラと紙をめくってみた。
でも、とても読む気にはなれなかった。このホンときたら、紙はひどく汚れていて、しかもボロボロだ。黒ずんだ跡がいたるところについている。
ごちゃごちゃと手書きの赤線がいくつも引かれているけれど、これはいったい何か意味があるのだろうか。
最後の紙に「田辺光恵」とおばあちゃんの名前が書かれていた。
「このホンには何が書かれているの?」
「英語の単語の意味が書かれているのよ。それはね、おばあちゃんが若いころに使っていた英和辞典というものよ。おばあちゃんはね、それを使って英語を勉強したの」
単語の意味が書かれたエイワジテン?
英語を勉強した?
なにがなんだか、完全に意味不明だ。
おばあちゃんは時々そういうわけのわからないことを言う。父さんでさえ、世代間のギャップを感じると嘆いているくらいだ。
でも、ぼくにはとうてい理解できないことを口にするのも仕方がないといえば仕方がない。生きてきた時代が全然ちがうのだから。
おばあちゃんは1999年生まれときている。はるか昔、20世紀から生きている。
1900年代生まれなんて、これはちょっとした時代物ってやつだよね。
20世紀、1900年代生まれのおばあちゃんが生きてきた時代は、ぼくなんかには想像もつかない世界だったにちがいない。
英語を勉強した、だって?
いったい、どういうことなんだ。想像しろといわれても、とても無理だ。なんのために、おばあちゃんは英語を勉強したのだろう。
きょとんとしているぼくに、ようやくおばあちゃんが説明してくれた。
「昔は、日本人みんなが英語を勉強したのよ。その辞典にはずいぶんお世話になったわ」
「ザッツグレイト。ワアオ」
母さんは青い瞳を輝かせ、照れたように髪をかきあげた。母さんはアメリカ人だから、誇らしい気持ちになっているのだろう。自分の国の言葉を日本人全員が勉強した時代があった。おばあちゃんは確かにそう言ったのだ。
日本人全員が英語を勉強した?
ますます、わけがわからない。
笑顔の母さんのとなりで、ぼくはポカンとするよりなかった。みんなが英語を勉強していたなんて、昔の人の行動は、まったくもって理解不可能だ。
そもそも英語を勉強する理由がわからないし、それを皆がやっていたなんて不気味じゃないか。
しかも、どうやらこのエイワジテンとやらを使って、英語の単語の意味を調べていたようだ。1900年代というのは、とんでもない世界だったんだな。
「どうして英語なんかを勉強したの?」
ぼくはいちばんの疑問を口にした。
「同時通訳機がまだなかったからだよ」
父さんが代わりに答えた。右耳を指で軽くたたいている。
「たいへんな時代だったのね」
母さんが右耳をそっと押さえた。
父さんと母さんの耳には小型の機械がつけられている。
同時通訳機だ。
そうやって両親はいつも通訳機を耳につけている。そうしないと、おたがいの言っていることがわからないからだ。同時通訳機をつけることで、どんな言語でも父さんには日本語、母さんには英語で伝わる。
「同時通訳機が発明されなかったら、母さんとは結婚できなかっただろうなあ」
「声をかけようにも言葉が通じないものね」
父さんは日本語、母さんは英語で話す。ぼくは両方とも理解できる。幼い時から、母さんとは英語で、父さんとは日本語で会話してきたからね。
でも、友だちといる時は同時通訳機が欠かせない。キムは韓国語、ホセはスペイン語、バームはタイ語を話す。通訳機がなければ、とても友だちづきあいができない。
ぼくたちは、スペースドッジボールのチームを組んでいる。試合中はもちろん同時通訳機をつけている。そうしないと、連係プレーができない。おたがいの言っていることがわからなくて、どうやって試合に勝てるだろう。
それから、ぼくの大好きなブラジルリーグのサッカー放送だって、同時通訳機がなければ、実況中継が聞けない。中国やインドのアニメだって、通訳機なしでは楽しめない。
通訳機のない世界なんて、ぼくにはとても想像できない。昔の生活はなんて不便だったのだろう。
そうか、おばあちゃんの時代は通訳機がなかったのか。
だから、わざわざ英語を勉強していたんだ。そうでもしないと、アメリカ人やイギリス人と会話ができなかったんだな。
でも、待てよ。
他の言語はどうなるんだ。韓国人・スペイン人・タイ人と友だちになったら、何語を使うというんだ。まさか、そのたびに新しい言語を学習していたわけじゃないよね。
2 人間は恋をすればいい
「同時通訳機が発明されるなんて、想像もつかなかったわ」
おばあちゃんがため息をついた。
「そういえば、おばあちゃんは通訳機をつけてないね。母さんの話す英語がわかるの?」
「もちろんよ。大学で英語を専攻したからね。読み書きはもちろん、聞いたり話したりするのもバッチリよ。同時通訳者の資格を持っているんだから」
「人間が通訳をするの? しかも、同時通訳?」
「昔はそうだったのよ」
ぼくは言葉につまるほど感心した。
人間が同時通訳をやるなんて信じられない。とても人間業とは思えない。しかも、あらゆる点で今よりも遅れていた時代に生まれ育ったおばあちゃんが、そんな高度な技術を身につけているなんて。
「確か、同時通訳の一号機ができたのが2020年代前半でしたよね」
父さんがおばあちゃんにきいた。
「そう。私がちょうど大学を卒業したころだった。最初は英語だけの通訳で、ずいぶん大きな機械だったわね」
「マイクを相手に差し出すタイプでしょう。本体とコードでつながっていてね。昔のものは何でも大げさなんだよな」
父さんは右耳から同時通訳機をはずして、手の平に乗せた。現在使われている型は耳にすっぽりとかぶせる大きさしかない。
「こんなちっぽけなものが通訳するなんて」
おばあちゃんが通訳機を見つめた。
「そうじゃないよ、おばあちゃん」ぼくは説明した。「これは単にスピーカーの働きをしているだけだよ。実際に通訳しているのは中央コンピューターだよ」
それはそうだ。こんな小さな機械に何百もの言語を通訳する回路があるわけがない。現在の技術ではとても無理な話だ。
「お母さまがせっかく勉強して同時通訳までできるようになったのに、機械に取って代わられたのですね」
母さんがそう言葉をかけると、
「なんだって? 何を話しているんだ?」
父さんがあわてて同時通訳機を耳につけた。
めんどうくさいものだ。通訳機なしでは、まともに会話に参加できないんだから。
「がっかりだったわ。英語を使う仕事につきたかったのに。機械がやるから、もう通訳者はいらない。通訳機があれば英語を学ぶ必要もない。だから教師もいらない、でしょう」
「キョウシ? なに、それ?」
「勉強を教える人のことよ。昔はね、どんなことでも人間の先生が教えてくれたのよ」
まただ。おばあちゃんの語る大昔の世界は想像もつかないことばかりだ。
さらに説明してくれたところによると、昔はガッコウという場所に子どもたちが集まって、みんなが同じことをセンセイと呼ばれる大人から教えてもらっていたという。
やれやれ、さっぱりわからない。
みんなで同じことを勉強したら、一人ひとりの能力に合わないじゃないか。それとも、昔の子どもたちは、みんな同じ能力しかなかったのだろうか。
それに、人間がすべてを教えるなんて、ずいぶん乱暴な方法に聞こえる。人間は間違えるものだから、時には正しくないことを教えていたはずだ。それじゃあ、習うほうはいい迷惑じゃないか。
「父さんも学校に通っていたぞ。週に二日だけだったけれどな」
「そうそう」母さんがあいづちを打つ。「スポーツと音楽を習ったわ。みんなで一緒にやって楽しかった」
「もう学校もなくなってしまったのよね」
センセイになれなかったおばあちゃんがつぶやいた。悲しそうな目をしていた。
ぼくはおばあちゃんがかわいそうになった。夢を追って一生懸命勉強したのに、自分を生かす道が何もなかったのだ。
「通訳機が出回りだしたころ、ぼうぜんとして、しばらくは何も手につかなかった。でもね、気を取り直して英語の勉強を続けたの。自分が青春をかけたものだから、おいそれと手放せなかったのよ」
「でも、仕事はなかったんでしょう」
「残念だけどね。仕事とは一切関係なし。それでも、機械なんかに負けてたまるかって、がむしゃらに勉強を続けたのよ」
ぼくはまた感心した。さすが、20世紀生まれの人だけはある。機械なんかに負けてたまるか、なんて言葉が出てくるんだものね。
「でも、コンピューターには結局かなわなかった。できたばかりころは、まだまだ通訳が下手で遅かったけれど、改良版が毎年のように出て、スピードも正確さもどんどん上がっていった。とても勝ち目がなかったわ」
「2040年代にはもう完成していましたよね。世界にあるどんな言語でも、こなれた同時通訳をするようになった。そのおかげでキャロラインと結婚できたってわけだ」
父さんと母さんが見つめあう。
科学の発展で割を食ったおばあちゃんがいる一方で、幸せを手に入れた両親がいる。
「でもね、わたしは今でも信じているんですよ。何から何まで機械任せにしてはいけない。人間は自分たちの力を高めていくべきだとね。機械に頼りっぱなしでいると、いつか手痛いしっぺ返しを受ける気がするのよ」
「めんどうくさいことは機械に任せて、人間は人間にしかできないことをやればいいんですよ。通訳は機械に任せて、人間は恋をすればいい。なんてね、ははは」
父さんの笑い声を聞いて、おばあちゃんは深いため息をついた。
「まこと、その辞典はおばあちゃんの努力の跡だと思って大切に持っておいてね。辞典は知識の結晶でもあるのよ。12歳になったまことにぜひそれを伝えたかったの」
ぼくはぼろぼろのエイワジテンを手にした。ずしりと重みが伝わってくる。黒ずんだ跡が、おばあちゃんの苦労を表しているみたいだ。
二度と役に立つことはないけれど、とても大切なもの。それはまさしく20世紀そのものだ。
3 たまには自分の足でこげ
買ってもらった電動三輪車に乗って、風を切るように走った。乗り心地は最高だった。
専用レーンを制限速度いっぱいの80キロで飛ばしていく。自転車に乗っている小さな子どもたちをビュンビュン追い抜いていく。
コンピューターが完全制御してくれているから、いくらスピードを出しても安全だ。自動回避装置のおかげで、ほかの車には絶対ぶつからない。
あれ、あいつは何をやっているんだ。
電動三輪車に乗っているのに、電気を切ってわざわざ足でこいでいる。
よく見ると、友だちのホセだった。ぼくはスピードを落として、ホセの横に並ぶ。
「まこと」ぼくに気がついたホセが声をかけてきた。「12歳になったんだな。おめでとう。それは最新型の三輪車じゃないか。乗り心地はどうだい?」
「スピード感がたまらないね。ところで、ホセはどうして足でこいでいるの?」
「父ちゃんが、たまには自分の足でこげと言うんだよ」
「どうして?」
「機械に頼ってばかりいてはいけないと、父ちゃんはよく力説するんだ」
「まるで、ぼくのおばあちゃんみたいだな」
ぼくも電気を切って、足でこぎ始めた。ホセと同じペースで進んでいく。
ぼくとホセの横を電動三輪車がびゅんびゅん追い抜いていく。
「いま通ったのはキムとバームだ」
ホセは電動に切り換えてスピードをあげた。
「追いつこうぜ」
ぼくもすぐに電動にして後に続く。一気に80キロまでスピードをあげる。ホセを追い抜き、ぼくが先に立って走った。
「さすが最新型だな。加速がすごいや」
通話スピーカーからホセの声が聞こえた。
キムとバームに続いて、インターセクションでレーンを降り、球技場に着いた。今日はここでスペースドッジボールの試合がある。
ぼくたちは準決勝まで勝ち残っていた。今日勝てば、いよいよ決勝進出だ。
「絶対勝つぞ」
キャプテンのキムが気合を入れた。
さっそくユニフォームに着がえ、背中に推進器をつける。特殊ヘルメットをかぶり、これで試合の用意ができた。
球技場は完全な球体で、内部が無重力空間になる。そこでスペースドッジボールの試合が行われる。
無重力球技場は、ぼくが生まれてから開発されたらしい。おばあちゃんどころか、父さんと母さんが子どものときでさえ、こういう設備はなかった。
科学が進んだおかげで、ぼくらはスペースドッジボールができる。まったくいい時代に生まれたなと思う。
ホセを先頭にぼくらは球技場の中に入った。対戦相手のチームはすでに中にいて、準備運動をしているところだった。
今日の相手は「殺し屋3号」という不気味な名前がつけられている。ぼくらのチーム名は「はやぶさ」だ。
キムのかけ声で、ぼくらも準備運動を始めた。まだ重力がかかっているから、推進器をつけた身体がとても重く感じる。
「いいか。必ず声をかけ合って、おたがいの位置を確認するんだ」
キムがみんなに声をかけた。
ヘルメットの中のスピーカーは同時通訳機が内蔵されている。ぼくたち「はやぶさ」の四人は、それぞれがちがう言葉をしゃべるから、そうしないと声をかけ合えない。
「準備はいいかな?」審判の声がした。「試合開始の用意をします」
入口が閉められた。これでぼくたちは球体の内部に完全に閉じ込められたことになる。
「無重力空間に切り替わります」
アナウンスと同時に身体がふわりと浮きあがった。
ホセはさっそくヒザをかかえるように身体を丸めて、くるくると前方宙返りをした。ぼくもヒザを胸まで曲げて、その勢いを利用して後方宙返りをする。
味方と敵の八人が思い思いに体を動かす。まずは無重力状態に慣れなければいけない。
バームが月面宙返りを繰り返している。この動きは、今から百年ほど前に「ツカハラ」という日本人が考え出したものらしい。
ようするに、百年前の人間でもできた単純な動作だ。それでも無重力空間に慣れるにはもってこいの準備運動になる。
ぼくは壁をけった力を利用して、ぐんぐん上昇していった。その途中でウォームアップ用のボールをキャッチして、身体をひねりながらホセに力いっぱい投げつけた。
ホセは取りそこねて、身体に当たったボールが横に一直線に飛んでいった。
「よし、いいスローだ」
キムがほめてくれた。
「いいぞ、まこと」
バームも声をかけてくれる。
「やるじゃないか」
ホセが空中側転をしながら言った。
ぼくたちは何度かおたがいにボールを投げ合い、試合に備えた。
無重力のうえに、球技場の内部は白で統一されていて、まったく目印がない。だから、もう上下左右の区別がつかない。
「推進器のテストに入ってください」
審判の声がした。
推進器は圧縮空気を噴出して、無重力空間を自在に動けるようにするための装置だ。ただし、あまりスピードは出ない。体の位置を変えたり、攻撃をかわすとき、パスを受けるときに、動いたりするために使う。
推進器を少しだけ使えば、あとは慣性で同じ方向に動き続けることができる。同じ方角に向けて推進器をずっと動かせばスピードが上がるが、あまりうまい使い方ではない。
推進器は5分間ほどしか使えない。それだけしか圧縮空気が入っていない。試合時間は30分だから、途中で推進器の空気がゼロになると、その後は動けなくなってしまう。せいぜい壁をけって反動を利用するだけになる。
「では、そろそろ試合を開始します」
審判がルールの確認をする。
自分が投げたボールが相手の体に当たれば2点。キャッチされたら相手に1点が入る。30分の試合時間内で得点の多いほうが勝ち。
キャッチは壁に当たるまで有効とされる。つまり、自分の体に当たってはじかれたボールが壁に当たる前に捕まえればキャッチと見なされる。もちろん、その間に相手がボールを奪えば、体に当てられたことになり、相手に2点入る。自分の体に当たったボールを味方がキャッチしても無効。あくまでも、自分でキャッチしないといけない。
ボールを持っていていいのは10秒間だけ。10秒以内に相手にぶつけるか、味方にパスしなければいけない。相手がパスを途中で捕えた時はキャッチと見なされ相手に1点が入る。
「プレイドッジ」
審判の声が響き、試合が始まった。
4 愛があれば言葉はいらない
朝だ。チュンチュンとスズメの声がスピーカーから流れている。
ベッドに横になったまま思いっきり伸びをする。昨日の試合でずいぶん無理な動きをしたせいで、上半身の筋肉が痛い。
「殺し屋3号」は反則すれすれの荒っぽいプレーを繰り返した。そして、バームだけを徹底的に狙い撃ちする作戦をとってきた。バームを4人で取り囲むようにして、ただひたすらバームだけに攻撃をしかけてくるのだ。
開始5分で10点差をつけられてしまった。でも、バームがおとりになって動き回り、相手がバームを追いかけて動いたおかげで、かろうじて逆転することができた。最後の5分を残して、「殺し屋3号」チーム全員が推進器の燃料切れとなっていた。
バームをかばいながら、ぼくたちは動きの鈍った相手にボールをぶつけていった。試合終了間際にホセの回転スローが相手の足をかすり、なんとか1点差で勝つことができた。
たいへんな試合だった。残すは決勝だ。あと1試合勝てば、念願の優勝だ。
その時、派手な言い争いの声が聞こえてきた。何が起こったのかとあわてて部屋を出ると、両親が仁王立ちでにらみ合っていた。
「言っていいことと悪いことがある」
父さんがヒグマなみの声で怒鳴った。
「なんですって? 恥を知りなさい、恥を」
母さんが金切り声で叫び返す。
すぐさま、父さんが、
「ふ、ふざけるなあ。いいかげんにしろ」と思いっきりソファーをけとばした。
「もう我慢ならないわ。よくそこまで汚い言葉を吐けるものね」
母さんは近くにあった立体映像水槽をつかむと、血走った目をして振り上げた。
「待ってよ、母さん。落ち着いてよ」
ぼくはあわてふためいて母さんの腕を押さえた。せっかく大事に育ててきた熱帯魚たちが壊されてしまう。
「おい、まこと。親に向かってなんていう口のききかたをするんだ」
父さんが後ろから突然カミナリを落とした。
「どうしたの? 何か悪いことを言った?」
「とんでもないことを口走ったじゃないか」
「ぼくは母さんをとめただけだよ」
ガンと鈍い音が背後で響いた。振り向くと、母さんがぼくをにらみつけていた。足元には映像水槽がころがっている。電気系統の接触がいかれたのか、色のあせた熱帯魚たちがピクンピクンとぎこちなく動いていた。
「まこと、あなたまでそんな言葉を使うの」
母さんのくちびるがブルブル震えている。
「母さん、どうしちゃったんだよ。ぼくの言葉づかいのどこが――」
「ふざけるなあああ」とヒグマ父さんがまたほえた。
いったい何がどうなっているんだ。ぼくが何かを話すたびに両親は怒り出す。
「二人ともどうしちゃんだよおお」
あらん限りの大声で叫んでやった。もうやけくそだ。
「父さんがひどいことばかり言ってくるのよ」と母さんが訴えるのと同時に、
「まことおおお、いいかげんにしろおお」と父さんが叫んだ。つい最近絶滅したタラバガニのように顔が真赤になっている。
「ぼくが何をしたっていうんだあああ」
もう一度大声を出してやった。
「さっきから言いたい放題じゃないか」と父さんが答える一方で、
「ま、まこと、親に向かってなんてことを。どういうつもりなの」と母さんが激怒した。
一体どうなっているんだ。
待てよ……。
さっきから、母さんに話しかけると父さんが怒る。父さんに何かを言うたびに母さんが血相を変える。ぼくが英語で話せば父さんが逆上し、日本語を使えば母さんが怒りだす。
同時通訳機だ!
通訳がおかしいんだ! それしかない。
父さんに聞こえないように、ぼくは母さんの耳元でささやいた。
「同時通訳機をはずしてくれない」
「いいわよ。こんな人とはどうせ話が通じないしね」
母さんがはずした通訳機をぼくは手に取った。画面には「English」と表示が出ている。どんな言語でも英語に通訳するという意味だ。
それから同じことを父さんにも頼んだ。
「ああ、いいよ。こんなヤツの言うことなんて、もう聞きたくもない」
父さんのほうは「日本語」と表示が出ている。そこまでは問題ない。
ぼくはまず母さんにきいてみた。
「そもそも何が原因でケンカになったの?」
「起きてくるなり、この人が悪口の限りをつくして、ののしってきたのよ。なんと言ったのかは、まことには教えられない。それほどひどいこと。とても口には出せないわ」
「えっ、なに? もっとゆっくり話してよ」
本当はちゃんと聞こえていたけれど、ぼくはわざとそう頼んだ。そしてすぐに父さんの同時通訳機を耳に当てた。
母さんの話が日本語で聞こえてきた。
「このおたんこなす。おめえなんか犬のウンコにけつまずいて……」
ぼくはあわてて通訳機をはずした。母さんの英語が聞こえてきた。
「とことん汚い言葉を使うのよ。ヤクザみたいな乱暴な口のききかたでね」
やっぱりそうだ。同時通訳機が故障している。いや、故障どころではない。とんでもない通訳をしているじゃないか。
「母さんは何をしゃべっているんだ? どうせ父さんの悪口だろう。悪かったね、日本の恥さらし男で。そんな男と結婚した恥さらし女は、どこのどいつだろうね」
父さんの話す日本語も同時通訳機を通して聞いてみた。これまた耳を疑ってしまうほど乱暴な英語になっていた。
狂った通訳機から流れてくる荒っぽい言葉を聞いて、派手なケンカになったというわけだ。そのせいで、ぼくがかわいがっていた熱帯魚たちが接触不良を起こしてしまった。
「ただいま」
おばあちゃんが朝の散歩から帰ってきた。
「なんだか騒がしい朝だねえ。言い争いをしている人をずいぶん見かけたよ」
おばあちゃんは日本語で話したので、母さんが通訳機に手を伸ばした。
「ちょっと待って、母さん。通訳機は故障しているみたいなんだ」
そう言って、はっと気がついた。
故障しているのはこれだけではない。実際の通訳は中央コンピューターがすべて行なっている。つまり、どの通訳機であろうと、とんでもない言葉が流れていることになる。
「まこと、どういうこと? 通訳機が故障するなんて今までに一度もなかったわよ」
ぼくは、さっき実験した結果を説明した。母さんは普通に話しているのに、ケンカを売るような日本語に通訳されているし、父さんの日本語も汚い英語になって流れてくると。
「信じられない。どうしてそんな故障が起こるの? まるで、言葉の通じない者たちをケンカさせようとしているみたいじゃない」
「そういえば、さっき……」
おばあちゃんが母さんにもわかるように英語に切りかえた。
「アフリカ系の子どもと道ですれちがったの。おはようと声をかけたら、急に怒り出してね。私は通訳機をつけていないから何を怒っているのかわからなかったけれど、あの子の通訳機も同じように故障していたのかねえ」
「そうじゃないよ、おばあちゃん。きのう説明したように、実際に通訳しているのは中央コンピューターなんだ。だから、どの通訳機にもデタラメな通訳が流れているんだよ」
「それじゃあ大変なことになるじゃない」
おばあちゃんが目と口をまん丸にした。
「あ、あのお、何の話をしているのかな?」
父さんがおずおずとぼくたちの輪の中に入ってきた。
そうだった。忘れていた。父さんには英語が通じないのだった。
「ダーリン」と母さんが甘えた声を出して、父さんの首に手を回した。
「あ、いや、どうした」と父さんは、わけもわからず照れている。
母さんが同時通訳機の故障について英語で説明した。
「おたがいに間違った通訳を聞いていただけなのよ。あなたがあんなことを言うなんて、絶対に何かがおかしいと思っていた。私たち、ケンカする理由なんてなかったのよ」
もちろん父さんは何を言われているのかわからない。それなのに「そうか、そうか」とうなずいている。
「父さん、わかっているの?」ときくと、
「愛があれば、言葉はいらない」と父さんは顔を赤らめて答えた。
やれやれ。さっきまで言葉が原因で大ゲンカをしていたくせに。
5 バベルの塔の崩壊
「通訳機の故障についてのニュースです」
ぼくは父さんと一緒に日本語のニュース番組を見ていた。母さんとおばあちゃんは別のスクリーンで英語放送を見ている。同時通訳機が使えないから、みんなで一緒に同じ番組、というわけにはいかない。
通訳機の故障は大問題になっていた。通訳コンピューターは世界じゅうでつながっているから、同時通訳機が同時故障を起こしてしまったのだ。
画面にはユーロ連邦のようすが映し出されていた。
「言葉が通じなくなり、社会の混乱が広がっています。議会も充分な議論が尽くせず、問題への対応が遅れています」
ユーロ議会の議長が映し出された。議長は大げさな身振りを交えて早口でしゃべった。何語で話しているのだろう。もちろん、何を言っているのかさっぱりわからない。
「失礼しました」
アナウンサーにカメラが切り替わった。
「通訳機が故障していることを忘れておりました。ユーロ議長が何を発表したのか、文章が手に入り次第お伝えします」
「大変なことになっているな」
父さんはしぶい顔で腕組みをした。
「ユーロなんかじゃあ、同時通訳機なしでは日々の生活が成り立たないものな」
そのユーロ連邦に、父さんは明日から出張に行くことになっていた。
「こんなややこしい時に、ややこしい仕事かよ」と父さんは頭を抱えていた。
「ねえ、本当に行くの?」
母さんが向こうのソファーから声をかけた。もちろん父さんには直接は通じない。でも、だいじょうぶ。おばあちゃんがすぐに日本語に通訳してくれる。人間の同時通訳だ。まったくすごい。神業というよりない。
「しょうがないだろう。映話じゃあ話が通じないんだから。直接会うのが、遅いようで一番速いんだよ。急がば回れってやつだ」
父さんの話すことは、これまたおばあちゃんが英語に通訳してくれる。おばあちゃんがいるおかげで、父さんと母さんは会話ができるというわけだ。
「直接会っても、通訳機がなければ何もできないでしょう」
「筆談をするよ。やたらと時間がかかるけど、今のところそれしか手はない」
パソコンに日本語で打ち込み、相手の言語に自動翻訳する。それが父さんのいう筆談だ。確かに時間がかかる。
きのうの夜は父さんと母さんが筆談していたけれど、まどろっこしくて見ていられなかった。そこでおばあちゃんが通訳を買って出たというわけ。
ニュース画面では、ある家族がインタビューを受けていた。どうやら使う言語が家族全員で異なっているようだった。
「妻と話すだけでもひと苦労ですわ」
夫である日本人が頭をかいた。
「私が日本語で話し、それを長男が長女にスワヒリ語で伝え、それから長女がインドネシア語で妻に知らせるんですよ。もう、伝言ゲームですわ」
そんなややこしいことをするくらいなら、筆談のほうがよっぽど速いのに。
「でもね、それがまた楽しいんですよ。家族の結束が強まった気がしますね。子どもたちが私ら夫婦をつなげてくれる。なかなかいいものですよ、伝言ゲームも」
やれやれという顔で父さんが部屋に入っていった。出張の準備をするのだろう。
英語放送を見ている母さんとおばあちゃんに合流する。どの放送局でも、同時通訳機の故障に関する情報ばかりが流れていた。世界にとって大問題なのだ。伝言ゲームは楽しいと笑ってばかりもいられない。
故障の原因がわからないのが混乱に拍車をかけていた。専門家でさえも、どうしてそうなったのか、お手上げの状態なのだ。当分の間、同時通訳機は使えそうにない。
「ウイルスにやられたようですが……」
コンピューター専門家は、そう解説しながら自信なさそうに首をひねっていた。
「厳重に管理された通訳システムにウイルスが侵入する可能性はゼロなのです。ひょっとすると、まったく新しい問題がコンピューター内部で起こっているのかもしれません」
「新しい問題って何のことだろう?」
ひとり言のようにぼくがつぶやくと、
「さっぱりわからない。コンピューターの内部なんて、何がどうなっているのか知らないもの」と母さんは肩をすぼめ、
「だから機械なんかに頼りきってはいけないのよ」とおばあちゃんは首を振った。
コンピューターの構造をまったく理解していないくせに、コンピューターに頼りきっているぼくらを、おばあちゃんは苦々しく思っているのかもしれない。
「言葉が通じなくなるなんて……」
母さんがつぶやいた。
「まるでバベルの塔の崩壊みたいね」
「バベルの塔?」
「旧約聖書にのっている話よ」
母さんが説明してくれた。
もともと人間は、ひとつの同じ言語を話していた。あるとき、人間は協力して天まで届くバベルの塔を作ろうとした。神はこれを見て、言葉が同じことが原因であると考え、人間に違う言葉を話させるようにした。このため、人間は混乱し、世界各地へ散っていった。
「というわけで、世界には数多くの言語があるのよ」
「本当にバベルの塔の崩壊みたいね。人間は科学力を使って、再びだれとでも言葉が通じるようにした。通訳コンピューターというバベルの塔を築いたのよ。それが再び神の怒りをかったというわけね。だから機械なんかに頼りきっていたらダメなのよ」
おばあちゃんは同じことばかり繰り返す。
「でも、言葉が通じるようになった人間が何をしたっていうんだろう。生活が便利になっただけで、悪いことなんて何もしていないように思えるけどな」
ぼくの疑問に、おばあちゃんは答えることはできなかった。
6 言葉の通じない「はやぶさ」
いよいよスペースドッチボールの決勝戦だ。相手チームは「どさんこキッズ」。北海道出身の四人が集まって結成したチームだという。
ぼくらとは大ちがいだ。「はやぶさ」は出身地どころか国籍のちがう4人のメンバーで成り立っている。
国籍の違いなど本来なら何の問題にもならないはずだった。でも、同時通訳機が使えない今では大きな問題になってしまった。
「はやぶさ」の四人は話す言語がバラバラだ。言葉が通じるか通じないかは深刻な問題になる。連係プレーに大きな差が生じてしまう。
同時通訳機が使えないハンデをぼくらだけが背負っている。仲間が言っていることがまったくわからない状態で、ぼくらは戦わなければいけない。
通訳機の故障という大事件が起こってから、ぼくらは何度も集まって、どうするかを話し合った。「話し合った」というのは、例の筆談を使ってのことだ。
その筆談がたいへんな作業だった。なにしろ、ぼくらには共通した言語が何ひとつない。キムは韓国語と中国語を話す。ホセはスペイン語とポルトガル語とイタリア語が理解できる。バームはタイ語しかできない。そして、ぼくは日本語と英語だ。
同時通訳機があったおかげで、ぼくらは何不自由なく話ができた。それが当然のことだと思っていた。ところが、通訳機が使えなくなった今、ぼくらは簡単な会話すら思うようにできなくなってしまったのだ。
伝言ゲームすらできない。やたらと手間のかかる筆談に頼るしかない。
まず、キムが言いたいことを韓国語でパソコンに打ち込み、スペイン語に翻訳してホセに見せる。それからタイ語にしてバームに示し、日本語に直してぼくに見せる。そうやって、ようやくキムの言おうとしていることが残りの三人に伝わる。
キムの言葉に対して、ホセが何かを言おうとする。まずスペイン語でパソコンに打ち込み、残りの三人の言葉に順番に翻訳して一人ひとりに見せていく。それに反応したバームがタイ語を打ち込み……。
そんなまどろっこしい筆談に頼るよりない。それしか手はないんだ。困難な状況を乗り切ろうと、ぼくらは筆談の作戦会議を続けた。
基本的な動きの指示をどうやって出すかが、さしあたっての問題だった。ふだんの試合では司令塔のキムが三人のポジションを調整する。そのうえで全員が声をかけあって、パスをまわしたり相手の攻撃を避けたりする。意志が通じないと、とても連係プレーは無理だ。
何語を使って声をかけあうか。少なくとも四人がすぐに理解できる言葉が必要だった。
といっても、そんな言語をぼくらは持っていない。おばあちゃんの時代には、世界の多くの人が英語をいくらか理解していたという。数字を一から十まで英語で言うくらいのことは、ほとんどの人ができたらしい。
でも、同時通訳機が普及したあとに生まれたぼくたちは、いや、ぼくたちの両親の世代でさえ、自分が使わない言語は耳にすることさえなかったのだ。
「ここは日本だから日本語を使おう」
キムの提案にホセとバームも賛成した。
「まこと、上下左右前後を意味する日本語の単語を教えてくれ」
これがいちばん重要な単語だ。これを知らないと、どうやって動くべきなのかチームメートに伝わらない。
「うえ、した、ひだり、みぎ、まえ、うしろ」
それぞれの方向を指さしながら、ぼくはゆっくりと発音した。
「とても覚えられないよ」
ホセがすぐさま泣き言を打ち込んできた。
「覚えるしかないんだよ。頑張って覚えようぜ」
バームはそう打ち込んだ後、
「うへ、ひた、ちだり、みき、めえ、うちろう」
と、ぼくのマネをしてみせた。
「そうだよ。その調子」
ぼくが励ますと、キムとホセも後に続いて繰り返した。何度も練習すると、三人とも正しく言えるようになった。試合中に仲間の体勢を見て、とっさに口に出せるかどうかはわからないけれど。
「右斜め上」とパソコン画面に示しながら、
「うえみぎ」とキムが発音した。
それは「みぎうえ」と言うんだと直そうとすると、ホセが「うえみぎ」とマネしながら、ちゃんと右上を指さした。
「したまえ」
バームが言うと、キムとホセが同時に前方斜め下を指さした。
そうやってぼくらは基本的な動きを日本語で伝え合うことができるようになった。「四番のうしろに回れ」とか「前方に推進しながらパスを受けろ」とか、そういう複雑な指示はとても出せないが、てんでんバラバラに無駄な動きをするのだけは避けられそうだ。
そうやって準備したというのに、決勝戦は延期になってしまった。無重力装置の安全点検が間に合わなかったという。
「最後まで必死にやったんだけど、かんじんな部分の調整が不充分なんだよ。百パーセントの安全を保証しないといけないからね」
スペースドッチボール連盟の会長おじさんは、申しわけなさそうに頭を下げた。
装置の点検を受け持っている整備会社のエンジニアたちの言葉が通じなくなったのがそもそもの原因らしい。
整備会社にはインド人がたくさん働いている。同じインド人といっても多くの違った言語を話すそうだ。通訳機の故障のせいで、インド人同士なのに言葉が通じなくなってしまったのだ。
試合は延期と聞かされて、ぼくらは正直言ってホッとした。延期になっている間に、通訳機が直るかもしれない。「うえみぎ」なんて指示を出すよりも、細かい動きをはっきり伝えられたほうがいいに決まっている。
「どさんこキッズ」のメンバーはがっかりしていた。北海道からリニアで1時間もかけて来たのに、体育館に着いたとたん延期を知らされたのだから。
「まこと」
バームが胸ポケットから出したパソコンに何やら打ち込みだした。
「どさんこキッズと一緒に遊ぼうぜ」
「賛成、賛成。大賛成」
ホセがパソコン画面をぼくに示す。
「わかった。話をしてくる」
筆談ではなく、話が直接できるのはぼくだけだ。リーダーらしき、ショートカットの子にぼくは近づいていった。
「せっかく集まったんだから、一緒に遊ばないか?」
「いいわよ。私たちも同じことを考えていたの」
ショートカットは笑顔で答えてくれた。
「ぼくは、まことっていうんだ」
「わたしはユッコ。よろしく」
言葉が通じるのはなんて便利なんだろう。筆談ばっかりやっていたから、同じ言葉でそのまま話ができるのがうれしくてたまらない。
「三度ぶつけをやりましょうよ」
髪の長いサッチの提案に、「どさんこキッズ」はすぐに賛成した。
「はやぶさ」が賛成するには少し時間がかかった。一人ひとりに筆談して、しかもバームは「三度ぶつけ」を知らなかったので、ルールの説明をしなければいけなかったからだ。
といっても、ルールはいたって簡単だ。ボールを投げて相手にぶつければいい。3回ボールを当てられた人はゲームから抜けていく。そうやって全滅させられたチームが負け。
「こてんぱんにしてやる」
そう日本語に翻訳されたパソコン画面をバームが示すと、「どさんこキッズ」の4人はわざと大げさに怖がるふりをした。
ぼくらは体育館の一角を使わせてもらって、「三度ぶつけ」を始めた。無重力状態ではないけれど、スペースドッチ決勝の前哨戦だ。
勝負はあっけなくついた。こてんぱんにやられたのは「はやぶさ」だった。
7 宇宙人が攻めてくる
ぼくが勉強していると、おばあちゃんが部屋に入ってきた。
「何をしているの?」
「基礎プログラミングの復習だよ」
「難しそうなことをやっているのね」
おばあちゃんが画面をのぞきこんだ。
「公式はたいしたことないんだけど、その組み合わせがややっこしいんだ。順番を間違えると、プログラムが動かなくなってしまう」
「へええ。まだ十二歳なのに、そんなことまでやるのかい」
おばあちゃんは感心していた。たかだか基礎コースの初歩レベルだというのに。
「それはそうとね、急に出かけなければいけなくなったの」
おばちゃんはにこにこしている。きっといい知らせにちがいない。
「通訳の仕事が回ってきたの。昔からの夢だった同時通訳よ。ついに通訳者になれるのよ。長年の夢がかなうのよ」
おばあちゃんは顔じゅうを笑顔にして、ふわふわと宙を舞っているかのように話した。よっぽどうれしいのだろう。
アメリカ大使館で同時通訳者として働くことが決まったらしい。
きのう、母さんにアメリカ大使館から映話がかかってきた。通訳機が使えなくて生活が不便になっていないかを確認する連絡だった。
「同時通訳してくれる人がいるからだいじょうぶです」
母さんはそう答えた。もちろん、おばあちゃんのことだ。
今日、アメリカ大使館から、今度はおばあちゃんに連絡があった。大使館で通訳者を必要としている。ぜひ働いてくれないかという話だった。
おばあちゃんはその場でオーケーの返事をした。何十年もかかったけれど、ついに自分を生かす道が開けたのだ。
「おばあちゃん、夢がかなったんだね」
「あきらめずに続けてきてよかった」
おばあちゃんの目には涙がにじんでいた。
「まこと、機械に頼りきっていてはダメよ。人間の力を信じるのよ」
おばあちゃん得意のセリフにぼくは大きくうなずいた。
「ドーブリ ヴィエーチェル」
ユーロから父さんが映メールを送ってきた。
「ポーランド語で、こんばんは、という意味だ。ついでに、コーハムチェン。愛してるよ。こっちは元気でやっている。仕事は全然はかどらないけど、人間関係は実にうまくいっている。おかしなものだ。言葉がまったく通じないのにな」
ぼくは母さんのために英語に直していく。でも、とてもおばあちゃんのようにスラスラとはいかない。少しずつメールを停止させて、そこまで父さんが話したことを英語で母さんに伝える。それすら、つっかえてばかりだ。伝言ゲームは難しい。
それでも、母さんはほほえみながら、ぼくの通訳に耳をかたむけてくれている。
「まことがいるおかげで助かるわ」と感謝までしてくれた。
父さんの話によると、言葉が通じなくなったせいで確かにいろいろと不便になった。それでも、ちがう言葉をしゃべるもの同士が、おたがいを理解しようと助け合っている。そのため、一時の混乱は少しずつ収まりつつあるということだ。
「まことみたいなダブルスが活躍しているぞ。親がちがう言語を話す子どもたちだな。ユーロにはかなりの数のダブルスがいる。そういう、にわか通訳者が伝言ゲームで社会を支えているんだよ」
「まことだって、大いに貢献しているわよ」
母さんがぼくの頭をなでる。
「おばあちゃんこそ大活躍だよ」
おばあちゃんは大車輪の働きをしている。
アメリカ大使館での通訳は見事な出来栄えだったようだ。コンピューターに引けを取らない同時通訳者として評判が広まり、重要な国際会議の通訳を任されるまでになった。
おばあちゃんは毎日とても忙しそうだ。それでも、映メールの顔は日増しに生き生きとしてきた。声まで若々しくなっている。
「同時通訳機の故障は、宇宙人が犯人ではないかと疑われているよ」
おばあちゃんは国際会議に出ているから重大情報まで握っている。本来なら口外してはいけないのだろうけれど、おばあちゃんは平気な顔で教えてくれる。
「通訳コンピューターの中でウイルスが自然発生したらしいのよ。外部から感染したのではなくて、まったく新しいウイルスが生まれたんだって。といっても、私にはさっぱりわからない話だけどね」
ぼくにも理解できない話だった。そんな不思議なことが起こるなんて、基礎プログラミングではまだ習っていない。
「それは宇宙人の仕業ではないかと話し合われているの。ウイルスが自然発生するなんて、理論的に説明がつかない。高度な科学力を持つ宇宙人が遠隔操作で発生させたのではないか、という説が有力なのよ」
若々しいおばあちゃんは得意気に話す。ふと横を見ると、母さんが真青な顔をしていた。
「通訳機を使いものにならなくすれば、言葉の通じない人間は協力できなくなる。そうしておいてから、地球を侵略しようとたくらんでいる。そう考えられているのよ」
母さんが突然ぼくをぎゅっと抱きしめた。母さんの体は小刻みにふるえていた。
「宇宙人が攻めてきても、まことは母さんが守る。母さんの大切な宝物を宇宙人に渡してたまるものですか」
やれやれ、大げさなんだから。
宇宙人が犯人とはまだ決まったわけではないのに。だいたい、それほど高度な科学力があるのなら、遠回しなことをしないで、すぐにでも攻撃してきそうなものだ。
母さんがぼくを抱きしめて涙を流しているところに、父さんが映話をかけてきた。
「ラーバス リータス。リトアニア語で、おはようという意味だ」
ユーロでは朝なのだ。
「おい、大変な情報を手に入れたぞ。通訳コンピューターの故障の原因がわかったそうだ。内部で新たなウイルスが発生したらしい。つまり――」
「どこからか感染したのではなく、ウイルスがコンピューターの中で生まれてしまったんでしょう」
「なんだ、知っていたのか。ところで、どうして母さんと抱き合っているんだ」
母さんが画面の父さんに向かって叫んだ。英語だから、もちろん父さんにはわからない。
「ど、どうしたんだ。泣いているのか。お、おい、まこと、早く通訳しろ。母さんはなんて言ったんだ」
「ええと、宇宙人が攻めてくるから、早く家に帰ってきて、だって」
「うちゅうじん?」
父さんの声が裏返った。
出張から帰ってきた父さんは、昔の記録映像を検索して、宇宙人撃退法について調べだした。
「驚くべきものを発見したぞ」
ある日、父さんが興奮して話した。
「今から百年以上も前に、地球防衛軍が結成されていたらしい。ウルトラマンという巨大兵器を操って、宇宙人を撃退する計画を立てていたようだ」
百年以上も前といえば、世界のどこかで常に戦争が起こっていた時代だ。だから、宇宙人を撃退する作戦まで考えられていたんだ。まったく20世紀の人は戦争好きだ。
「巨大兵器を今の時代に作れるのかなあ」
ぼくの疑問には、おばあちゃんが答えてくれた。連日の国際会議に通訳者として出席しているおばあちゃんは、確実な情報を手に入れていた。
「今から武器を作るのは無理みたいだよ。なにしろ、地球上にあったすべての兵器は30年も前に廃棄してしまったでしょう。もう作り方もわからないし、材料もないらしいよ」
そう話すおばあちゃんはむしろ喜んでいた。
「どうせ勝ち目がないんだから、ただ降参すればいいんだよ。こっちは戦う気がないことを宇宙人に伝える方法を考えるほうが、よっぽど気が利いていると思うけどね」
母さんはその考えに賛成した。
「宇宙人と話し合って、友好関係を築けばいいのよ。話せばわかる。わかりあえる」
「何語で話し合うの?」ときくと、
「なんとかなるわよ。おたがいに知性があるんだから。話せばわかる。なんとでもなる」と母さんは自信満々の顔で答えた。
通訳コンピューターが故障してから一ヶ月が経っても、いっこうに宇宙人は攻めてこなかった。
「冷静に考えてみると、当たり前のことだよな。ドンチュースインクソー?」
父さんは学び始めた英語を使おうとするのだけれど、母さんにはさっぱり通じない。母さんの日本語も似たようなもので、結局はぼくが通訳させられることになる。
「遠隔操作でウイルスを発生させるだけの科学力があるのなら、もっとライフラインに関わるコンピューターを狂わせるはずだよな」
故障原因が不明のまま、ケンカ言葉好きの通訳コンピューターは放って置かれている。自然発生したウイルスは、興味深い研究対象なのだそうだ。何を研究するのか、ぼくにはさっぱりわからないけれど。
新たに通訳システムを最初からプログラミングされた別の中央コンピューターが作られたけれど、うまく作動したのはたったの三分間だけだったらしい。結局、また同じ異常が生じてしまったのだ。
どうやらぼくらは同時通訳機なしの生活を送らなければいけないようだ。通訳機が発明されていない50年前に戻るということだ。機械に頼ることなく、人間が通訳をしていたという時代に。
これからは、子どもが毎日ガッコウに通っていた大昔と同じように、だれもが外国語を勉強しなければいけなくなるのかもしれない。
ぼくは時おり、おばあちゃんのエイワジテンをながめては、人間は本当に進歩しているのだろうかと思った。
友だちのホセは日本語を学び始めた。
「ニホン、スム。ニホンゴ、タイセツ」
たどたどしい日本語を話すホセのことを、なおいっそう好きになった。ぼくの言葉を学んでくれているのだ。
キムはわけのわからない映メールを時おり送ってきた。よく聞いてみると、どうやら英語で話しているようだった。バームは中国語を勉強し始めた。来年は家族で中国へ引っ越す計画があるという。
それまでのように自然に話はできなくなったけれど、ぼくたちは今までどおりに友だちづきあいを続けている。いや、今まで以上に強い友情で結ばれるようになった。
おたがいに言葉の通じない相手を思いやって、理解しようと努力しているからだろう。
8 キュッロピュッ
「だいぶ連係がうまくいくようになったな」
キムがパソコン画面を示した。
ぼくらは筆談にも慣れ、テンポよく会話を進められるようになっていた。
スペースドッチのテンポもよくなった。日本語での「うえしたみぎひだりまえうしろ」の指示がうまく伝わるようになってきたんだ。
今日は無重力球技場で練習することができた。ようやく点検が終わった球技場の試運転として使わせてくれたんだ。
「どさんこキッズは強敵だからな」
ぼくらは「打倒どさんこキッズ」を合言葉に、徹底的に連係プレーの練習をした。
はっきり言って、一人ひとりの力量は「どさんこキッズ」にかなわない。それは三度ぶつけの試合でよくわかった。ぼくらに勝つチャンスがあるとすれば、四人で動き回っての連係プレーしかない。
でも、いくら「うえしたみぎひだりまえうしろ」への反応がよくなっても、それだけでは複雑な連係プレーなんてとうてい無理だ。
言葉が通じていた日々がなつかしい。ぼくらは自在に動き回って、敵をかくらんすることができた。
言葉が通じる「どさんこキッズ」が本当にうらやましい。
練習帰りのことだった。見慣れない男の子が、公園にあるトランポリンで遊んでいた。
その子の見事な動きに、思わずぼくは三輪車を止めて見とれてしまった。
難しい技を軽々と決めている。ひねりを加えた四回宙返りを簡単に成功させるなんて、ただものではない。伸身の三回宙返りなんて連続技でこなしている。
(あれだけの動きができるなら、きっとスペースドッチもうまいだろうな)
あの子なら「どさんこキッズ」の誰にも負けない動きができそうだ。
男の子と目があった。男の子はにっこりとほほえんだ。人なつっこい明るい笑顔だった。
「やあ。ぼくはまこと。きみは?」と声をかけてみた。
初めは日本語で。でも、通じなかったので今度は英語で試してみた。残念ながら、それでもわかってもらえなかった。
同時通訳機のない今となっては、言葉の通じない人と出会うことは日常茶飯事になっている。そういう時は、笑顔を絶やしてはいけない。まず、笑顔。ずっと笑顔。それが同時通訳機のない世界の常識だ。
男の子は自分の胸を指さしながら、小鳥のさえずりのような声を出した。
キュッロピュッ。
ぼくには、そんなふうに聞こえた。どうやらその子の名前らしい。ぼくが苦労してマネをすると、男の子は満足そうにうなずいた。
キュッロピュッ君は、日本語や英語とはまったく発音が違う言語を話すようだった。ぼくの名前は「まこと」だと何度教えても、「ミュックゥトッ」としか言えなかった。
言葉はまったく通じなかったけれど、身振り手振りを使って自己紹介をした。キュッロピュッ君は引っ越してきたばかりらしい。
次の日、ぼくはパソコンの自動翻訳機能を使って筆談を試みようとした。これから友だちづきあいをするためには、おたがいのことをもっとよく知っておいたほうがいいに決まっている。
ところが、キュッロピュッ君は、何かを必死に訴え始めた。
「トゥミュダッツ、トゥミュダッツ」
キュッロピュッ君は身をよじりながら懸命に話した。日本語を使おうとしているらしい。うまく口が回らないのがもどかしそうだった。
全神経を耳に集中して聞いてみると、ようやく彼の言いたいことが理解できた。母さんの言うように、「話せばわかる。なんとかなる」ってやつだ。
「ともだち」と繰り返しているのだった。
キュッロピュッ君は覚えたての日本語を涙ぐましい努力で必死に発音していた。
どうやら「友だちとは機械を通さずに話をしたい」と訴えているようだった。
「わかる、わかる、その気持ち」
家に帰って報告すると、父さんがうなずいた。
「日本語を練習したいんだよ。父さんも英語を勉強しているからよくわかる。パソコンの翻訳機なんかに頼っていたら、いつまでたっても上達しないものな」
ぼくはキュッロピュッ君とよく遊ぶようになった。パソコン筆談はやらない。身振り手振りだけでも何とかなる。
遊んでいるときでも、キュッロピュッ君は日本語で話そうと努力した。ぼくは簡単な単語を使い、ゆっくりと話して、彼の理解を助けてやった。
そのついでに、ぼくもキュッロピュッ君の言葉を習うことにした。キュッロピュッ君はうれしそうに教えてくれた。その気持ちはよくわかる。自分の話す言葉を外国人がわざわざ学んでくれるのを見ると、とても誇らしく感じるものだ。
キュッロピュッ君の言葉は難しかった。聞き取るだけでも大変だ。ぼくが言えるようになったのは、今のところ、たった一言だけ。
トゥゥゥリャリョ、クルゥゥゥピィ。
ありがとう、という意味だ。笛の音色のように声を出す。最後のピィは極端に高い音になる。
なんて難しい言葉だろう。でも、世界にはさまざまな言語がある。自分が想像もしなかった音だって当然のようにある。同時通訳機があったから気がつかなかっただけだ。
だれかの声を直接聞くことも少なかった。ほとんどが通訳機の声を通して話をしていたからだ。通訳機が壊れて初めて友だちの声を直接聞いたくらいだ。バームがあんなに低い声だったのは驚きだった。
どさんこキッズとの対決が二日後に迫った日、ぼくはキュッロピュッ君を無重力球技場での最終練習にさそった。
キュッロピュッ君はスペースドッチをやったことがないようだった。でも、トランポリンのあの動きからすると、ぼくらのチームの秘密兵器になりそうな予感がする。
体育館の前には「はやぶさ」のメンバーがそろっていた。
「打倒どさんこキッズ」
ぼくらは合言葉を各自の言葉で口にする。
「ダッツウ、ヂュサキュ、キュキュ……」
キュッロピュッ君も苦しそうに続けた。
打倒どさんこキッズ、と日本語で言おうとしている。ぼくにはわかったけれど、ほかの三人には通じない。でも、もちろん何の問題もない。言葉は通じなくても、なんとかなる。なんとでもなる。気持ちが通じているのがいちばん大切だ。ぼくらはそう考えていた。
でも、練習が終わるころには、ぼくらの気持ちはバラバラになりかけていた。誰が悪いのかと聞かれれば、ぼくが悪いとしか言いようがない。
まず、キュッロピュッ君はスペースドッチが抜群にうまかった。いや、うますぎた。
なにしろ、ぼくら四人を相手にしても楽々と勝ってしまうほどだったのだから。ぼくらはさまざまなフォーメーションを試し、四人で力を合わせてキュッロピュッ君を追いつめてはボールを当てようとした。でも、軽々とかわされては反撃を受けるのだった。
「したまえ、アニアニ、したみぎ、チャッカケッタ、うえひだり」
キュッロピュッ君の動きが速すぎて、キムの指示はしどろもどろになっていた。ホセとバームは擬投にものの見事にひっかかって、ダブルヒットをくらってしまった。一度に二人が当てられて四点失うというプレーだ。
ぼくも何度も当てられた。キュッロピュッ君はいつも体をひねりながら動くので、どこにボールを投げてくるのか予想がつかない。
攻撃十秒ルールもなんのその、キュッロピュッ君は次々にぼくらにボールをヒットさせ、得点を重ねていった。
三十分の練習試合が終わると、ぼくらは肩で息をしていた。しゃべることすらできないほど疲れ切っていた。
「これじゃあ、どさんこキッズにも大負けだな」
「連係がまったくダメだ」
「言葉が通じないのはやっぱりきついよな」
「いや、そうじゃない」
「なにが?」
「連係プレーができたとしても、どさんこキッズには負けるよ」
「どうして?」
「オレたちの力が足りないからだ」
「三度ぶつけも、こてんぱんに負けたしな」
という会話をぼくらは筆談で進めていた。
「キュッロピュッ君をメンバーにするのはどうだろう?」
ぼくは意を決して書いてみた。三つの言語に翻訳して、三人に見せる。
しばらく三人は黙ったままだった。
キュッロピュッ君はといえば、筆談の輪には加わらず(機械を通す会話は大きらいなんだ)、宙返りを繰り返していた。まるでまだプレーしたりないとでも言っているかのように。
「誰が替わりに抜けるんだ?」
ホセがようやく発言した。
今度はぼくも入れた三人が黙り込んでしまった。ぼくらは横目でキュッロピュッ君の動きを追っていた。
無重力状態でもないのに、軽々と月面宙返りをしている。しかも、ボールを投げて、空中キャッチをしながらだ。
「いちばん下手なオレが抜けるよ」
バームが画面を順に三人に見せた。
9 戦争が起こるかもしれない
「おいしい、か?」
「グッド。デモ、チイサイシオ」
「しお、か? これ、か?」
「ノー、ノー。オオキイシオ」
母さんは日本語、父さんは英語で会話をしている。二人とも下手くそで、なかなか通じない。それでも楽しそうに話している。
父さんは料理がしょっぱいと言いたかったようだ。でも、英語が通じなくて、母さんは逆に塩が足りないと思っている。
「しお、ない、か?」
「オオキイシオ。モウイイ、シオ」
二人は直接話そうと努力している。ぼくやおばあちゃんの通訳なしで。
「そういう世界になったのだから」
母さんはうれしそうに言う。宇宙人の攻撃を心配するのに比べれば、言語が違うことなんて小さな問題なのだ。
愛があれば言葉はいらない、と信じている父さんも同じように考えているみたいだ。
「言葉が通じなくても、愛が通じないことはない」そうだ。
それを母さんに英語で伝えようと
「ラブ、イズ、ベスト」と言えば、
「はい。あいはいちばん」
母さんが父さんのほほにキスをした。
おばあちゃんがため息をついた。久しぶりにおばあちゃんが遊びに来ていた。と言っても、また明日から国際会議が続くらしい。
「おばあちゃん、疲れているみたいだね」
「うん、そうだねえ……」
「どうしたの?」
「戦争が起こるかもしれないよ」
「宇宙人との戦争? ついに宇宙人が……」
「ちがうのよ。人間どうしの戦争よ」
しょっぱいけれど、愛情のこもった料理は世界でいちばんおいしい、と英語で伝えようと必死になっていた父さんが振り返った。
「せ、戦争? そんなもの起こるはずないでしょう。もう何十年も戦争なんて地球上では起こってないんですから」
「言葉が原因なのよ。言語を巡っての戦争が起こりそうなのよ」
おばあちゃんがまたため息をついた。
母さんがぼくに不思議そうな顔を向けた。どういうこと? と目が訴えている。
そうだった。日本語で会話をしていた。母さんだけが理解できない言葉だった。ぼくは英語に切り替えて、母さんに説明した。
おばあちゃんも英語で話し始めた。
「最近の国際会議で必ず議題に上るのが、言語をどうするかという問題なのよ。どの国も自分たちの話す言語を公用語にしようとやっきになっているの」
「コウヨウゴ? それって何のこと?」
ぼくの質問におばあちゃんが答えようとすると父さんが割って入ってきた。
「ちょっと待ってくれよ。オレにも説明してくれよ」
そうだった。父さんだけが英語を理解できないのだった。ああ、めんどうくさい。
「じゃあ、日本語と英語で話を進めるわ」
おばあちゃんは日本語と英語を交互に使って説明を加えていった。さすが、おばあちゃんだ。よどみなくスラスラと二言語で同じ内容を繰り返していく。
「ちょうどこの家みたいな状況だと思えばいいわ。どの言語を主に使うかでもめるのよ。みんな、自分の言語で話し合いをしたいと考えているからね」
それが公用語というものらしい。単純にいえば、異なった言語を話す人たちの間で共通して使われる言語ということだ。
はやぶさチームの中では日本語が公用語になっている。例の「うえしたみぎひだりまえうしろ」だ。ぼくたちの間では、あまりもめることなく、「ここは日本だから」という理由でそう決まった。でも、国と国との関係では、そんなに簡単にはいかないらしい。
「自分の国を有利にしたいんだよ」
国際会議での使用言語をめぐって、最近は言い争いがひんぱんに起きているという。他人の言語をののしる人も出てきたらしい。
「言語に優劣なんてないのにねえ。同時通訳機がそれを証明してくれたじゃないか。もうみんな忘れたのかねえ」
「通訳機の故障を知恵と助け合いの精神で乗り越えてきたのに」
母さんもしんみりとして言った。
「みんなで協力して問題を解決しようとしていたのに、こんなに短い時間でバラバラになるなんてな」
めずらしく父さんが皆の気持ちをまとめた。
父さんの言葉が心に響く。
みんなで協力していたのに、短い時間でバラバラになるなんて。
それはまさしく「はやぶさ」のことだ。
ぼくたちの気持ちはバラバラだった。今まで一緒にやってきたのに、どうしていいのか分からなくなっていた。意見がまとまらず、空中分解しそうだ。
いちばん下手なオレが抜けるよ。
バームの言葉にぼくらは沈黙してしまった。
どさんこキッズに勝つにはそれがいいのかもしれない。キュッロピュッ君をメンバーに加えるためには、だれかが替わりに抜けなければいけない。バームは確かに殺し屋三号との試合でも狙い撃ちされるほど、ぼくらの中ではいちばん動きがにぶい。
「いや、おれが抜けるよ」
ホセが画面に打ち込んだ。
「どうして?」とバームがきくと、
「だれが抜けたって変わりないだろう。こいつが出れば一人でも勝てるんだから」
ホセはアゴでキュッロピュッ君のほうを指しながら、そう画面に打ち込んだ。
「勝てばいいんだろう」
「ちょっと待てよ」キャプテンのキムがパソコンを見せた。「こんなふうに皆でケンカして勝ってもうれしくないぞ」
「じゃあ、もとのメンバーで戦って負けたほうがいいのか」
「ここまで来たんだから勝ちたいよな」
「おれたちだけで勝ちたいな」
「無理だよ。言葉が通じないんだから」
ぼくたちはまだ筆談を続けていた。
おたがいに声をかけられたら。
言葉が通じたら。
通訳機が使えれば。
それまでは力を合わせて困難に向かい合っていたのに、ぼくたちの気持ちはもうバラバラになっていた。
言葉が通じないから勝てっこない。
ぼくらがパソコン画面を囲んでいる横で、キュッロピュッ君が宙返りを繰り返していた。
「一日考えてから結論を出すことにしよう」
キムがぼくらに画面を見せる。
ぼくらは同時にうなずいた。
初めてみんなの意見があった。
「こんなことで戦争が起こるかもしれないなんて、イヤになっちゃうわね。せっかく何十年も戦争のない平和な世界だったのに」
たかが言語の違いで、とおばあちゃんは苦々しい顔をした。
「戦争が起これば、大変なことになるな」
今度は父さんがため息をついた。
「どうなるの?」
「サイバー攻撃でライフラインを壊す」
「社会が大混乱になるね」
「そういうこと。たかが通訳機が故障しただけでこんな状態だからな」
「今までは世界じゅうで協力してサイバーテロを取り締まってきたのに」
「戦争となると、そんなこと構ってられないんだよ。先制攻撃を仕掛けたほうが圧倒的に有利になる。最初に手を出した者の勝ちだ」
父さんの話をおばあちゃんが片っ端から英語に直して母さんに伝えていく。母さんはやれやれと首を振ると
「話せばわかるのに。話し合えば必ず分かり合えるわよ」と言った。
「だから、何語で話すのさ。それが問題なんだよ」
「何語だっていいわよ。なんとでもなる。宇宙人と話をするのではないのだから」
「そのとおり。キャルはいいことを言う」
父さんが母さんの肩を抱き寄せた。
「いっそのこと宇宙人が攻めてきたほうがいいよな。そうなれば、人間はおたがいを仲間と信じて、力を合わせようとするはずだ」
10 戦争をしている場合じゃない
「こんにちは。私のこと、覚えている?」
画面では、どさんこキッズのユッコがほほえんでいた。
「もちろん覚えているよ。いよいよ明日が決勝戦だね」
「そうね。そちらの調子はどう?」
「あ、ああ。調子いいよ。かなりいいよ」
「でも、言葉が通じないんでしょう。三度ぶつけをした時も大変そうだったものね。まさかプレー中に筆談するわけにもいかないし」
「まあね。でも、それくらいハンデがないと、ぼくたちの大勝になってしまうからね」
「そんなハンデはいらない」
「いらないと言ったって……」
「わたしたちはマイクを使わないから」
「えっ、それじゃあ……」
「試合中に言葉のやり取りは一切しない。言葉なしでプレーをする。それならハンデなしでしょ」
「そんなことしなくていい。ぼくらだって少しはおたがいに指示を出せるのだから」
「大した指示じゃないでしょ。どうせ、上とか下とか」
「それでも何もないよりマシだ。言葉のやりとりなしでプレーするなんて、それじゃあ逆にハンデになってしまうだろう」
「それくらいのハンデをつけないと、私たちの大勝になってしまうから」
「真似するなよ。とにかく、君たちはふつうにプレーすればいい」
「だから、そうするのよ。言葉なしで、ただ体を動かす」
「だから……」
「いいじゃない、それで。私たちがそうしたいんだから。それにね、たかがドッチボールなのよ。国どうしで戦争しようってわけじゃないんだから」
「確かに」
「でしょ。正々堂々とプレーしましょう」
「わかった。もうようしゃしないぞ」
「こっちもよ。それから、試合が終わったら、また一緒に遊ばない?」
「いいねえ。今度はかくれんぼでもしよう」
「うん。みんなにもよろしく。こっちの四人も対戦を楽しみにしているって伝えてね」
映話が切れた。
言葉が通じるのはとても楽だ。本当はすぐにもキムに映話をかけたかったけれど、どうせ筆談になるのでやめておいた。
ぼくたちは午後に集まると約束していた。その時に三人相手に筆談で訴えればいい。
やっぱり、もとのメンバーでやろうと。
試合に負けたっていいじゃないか。
ユッコの言うとおりだ。たかがドッチボールじゃないか。そんなものと比べれば、ぼくたちの友情のほうが何百倍も大切だ。
「やっぱりオレが抜けるよ」バームは表情を変えずにそう打ち込んだ。「みんなも勝ちたいだろう。もとの四人で出て、試合に負けたら、オレのせいになりそうでイヤなんだよ」
「そんなことないよ。負けたっていいじゃないか。たかがドッチボールだろう」
「たかがドッチボールってどういう意味だよ? じゃあ、まことが抜けろよ」
「戦争じゃないって意味だよ。い、いいよ、ぼくが抜けても」
「いや、いちばん下手なオレが抜ける」
「バームよりもおれが抜けるよ。誰が抜けたって同じなんだから」
「そんなふうに言うなよ。そもそも勝つことがそんなに重要なのか」
「そりゃあ、負けるより勝つほうがいいだろう。そう思っているのは、まことなんだろう。だから、こいつを連れてきたんだろう」
ぼくたちはきのうと同じことを延々と時間をかけて話していた。
もう堂々めぐりだ。
その時、キュッロピュッ君がゆっくりと話し始めた。筆談ではなく、目を見ながらひとりひとりに向かって話し出した。
「マックトゥ」
ぼくのことだ。まこと、と呼びかけたんだ。ぼくはキュッロピュッ君の目を見ながらうなずいた。
「キィミュ」
キムが、ああ、と答える。
「ビャミュ」
バームがうなずく。
「ホゥセッィ」
ホセがキュッロピュッ君を見つめる。
キュッロピュッ君はぼくたちの名前を呼んだ後、おたがいの手を握らせて輪を作らせた。
そして、顔をしかめ、身体をよじらせて、苦しそうに大きな声で叫んだ。
「ダッツウ、ヂュサキュ、キュキュ……」
キュッロピュッ君は顔を真っ赤にして、もう一度叫んだ。
「マックトゥ、キィミュ、ビャミュ、ホゥセッィ。ダッツウ、ヂュサキュ、キュ……」
「まこと、キム、バーム、ホセ。打倒どさんこキッズ」
ぼくはパソコン画面を三人に見せた。
ぼくたち四人で試合に出ろ、とキュロッピュッ君は言っているんだ。そして、打倒どさんこキッズ、勝って優勝しろと。
「まこと」とぼくは自分の名前を叫んだ。
「キム」とキムが続いた。
「バーム」とバームが大声を出す。
「ホセ」とホセが力強く言った。
「打倒どさんこキッズ!」
四人声をそろえたけれど、「打倒」のところだけは別々の言語で叫んだので、最後はバラバラになった。
かけ声はバラバラになったけれど、ぼくらの気持ちはようやくひとつになっていた。
自分を、おたがいを、仲間を信じろ。
「キュッロピュッ君」
ぼくは四人の輪から離れて、キュッロピュッ君の手を取った。
「トゥゥゥリャリョ、クルゥゥゥピィ」
ぼくはせいいっぱいの感謝を言葉にした。
「なんて言ったんだ?」
ホセが身振りできいてきた。
「グラシヤス。カムサハムニダ。コップンクラップ」
ぼくは「ありがとう」を三人の言葉で言った。その後、もう一度
「トゥゥゥリャリョ、クルゥゥゥピィ」
と続けて、キュッロピュッ君と握手をした。
「でも、どうして自分で出たくないんだ。あんなにうまいのに」
ホセが聞いてきた。
キュッロピュッ君には翻訳機が使えないので、ぼくは身振り手振りを交えて何とか質問してみた。それだけで五分近くかかった。
それから、キュッロピュッ君が、これまた身振り手振り、それから身もだえ混じりの日本語で必死に答えてくれた。ぼくたちが理解するまでに、今度は十分以上かかった。
キュッロピュッ君が言おうとしていたのはこういうことだった。
きみたちは通訳機の故障で言葉が通じなくなってから、おたがいに協力して困難を乗り越えようと努力してきた。もちろん、きみたちだけでなく世界じゅうの人々がそうだった。
それはとてもすばらしいことだ。言葉の通じない仲間が、おたがいを信頼して力を合わせるのは、なによりもすばらしい。
それなのに、ぼくのせいで(と、キュッロピュッ君は悲しそうな顔をした)、みんながおたがいを信じなくなってしまった。まるでサイバー戦争一歩手前の世界みたいだ。
みんなには前のように協力してがんばってほしい。みんなにはそれができる。(キュッロピュッ君はぼくたち一人ひとりの目を見つめて言った)
世界のみんなだってできる。
知恵を出し合えば、戦争は避けられる。
今までずっとそうしてきたんだろう。
「わかったよ。俺たち、力を合わせていく」
ホセがキュッロピュッ君に向かってジェスチャーで伝えた。
「でも、少し大げさだよな」とキムが苦笑いをした。「だって、おれたち子どものケンカを世界の戦争と同じように話すんだから」
「まことの通訳は正しかったのか?」
バームが笑いながら筆談で聞いてきた。
「あれっぽっちの日本語でよくわかったな」
「話せばわかる。なにも宇宙人と話をしようというんじゃないんだから」
ぼくは母さんの言葉をまねしてみた。
「そうだよな」と、みんながうなずいた。
「愛があれば言葉はいらない」
と、ぼくは調子に乗って書いてみた。
「愛は地球を救う」
すかさずホセが返してきた。
みんながどっと笑った。
キュッロピュッ君も楽しそうに笑った。
さあて、とキムがぼくたちを再び輪のかたちにした。キュッロピュッ君も加わった五人の輪だ。
「明日はいよいよ決勝戦だ。もう一度、気合を入れよう。気持ちをひとつにして合言葉を大声で叫ぶぞ」
ぼくらは「打倒どさんこキッズ」の合言葉を叫んだ。気持ちはひとつになっていたけれど、それぞれの言葉を使ったので、合言葉はバラバラになった。
キュキュキュ……。
最後まで身をよじっていたのはキュッロピュッ君だった。
11 どさんこキッズとの決戦
「さすがに東京シティは暖かいわね」
ユッコが明るい笑顔で言った。
やっぱり言葉が通じるのはうれしい。相手が言ったことをすぐにそのまま理解できるというのは最高だ。
「北海道はもう雪が降ったんだって?」
「そうなの。これから長い冬の始まり」
他のメンバーたちは、やむなく筆談でおたがいに話をしている。それでも、みんな楽しそうだ。いよいよ対決だというのに緊張感がまったくない。
ぼくらは「打倒どさんこキッズ」で気合を入れたけれど、実のところ、それほど勝ち負けにこだわってはいなかった。何よりも、またもとの四人でチームを組めるのがうれしかったんだ。
確かにキュッロピュッ君は抜群にうまくて、おそらくたった一人でも「どさんこキッズ」を破ってしまうだろう。でも、ぼくたちには優勝よりも大切なものがある。
もとの四人で戦うのがいちばんだ。
ぼくらは楽しい気分で、それぞれお気に入りのどさんこキッズと話をしていた。
「どさんこキッズ」もリラックスしている。優勝はこっちのものだと余裕を持っているようだった。
決勝戦は予想に反して大接戦になった。
「はやぶさ」の連係は信じられないくらいうまくいき、一方で「どさんこキッズ」の動きはちぐはぐだった。きっと言葉で指示できないことにとまどっているのだろう。
試合は「はやぶさ」が常に2・3点のリードをとりながら進んでいった。こちらがぶつければ、相手がすかさず点を取り返す。アタックをキャッチしたかと思えば、こちらの攻撃を止められる。
おたがいに激しく動き回り、一人また一人と推進器の空気切れになっていった。それでもダブルホイップなどの大技を繰り出しては、ぼくらは動きを止めることをやめなかった。
それは「どさんこキッズ」も同じだった。キッズたちも必死に動き回っていた。なんとか「はやぶさ」との得点差をひっくり返そうと、がむしゃらに攻撃をしかけてきた。
終盤、ぼくらの体力が限界に達し、動きがはっきり鈍くなった時、キッズたちは組織的な総攻撃に出て、連続技で得点を重ねた。
あっという間の逆転劇だった。
まるで、最後の最後に劇的な勝利をもぎとろうと筋書きを描いていたかのような、ドラマチックな逆転勝利だった。
1点差で「どさんこキッズ」が今年のスペースドッチボール大会の優勝者となった。
「おめでとう」
試合後にぼくが声をかけると、ユッコは浮かない顔で答えた。
「あまりうれしくない」
「どうして? 日本一になったんだぜ」
「実はね、試合の終盤に声をかけ合ってしまったの」
「連係プレーのために?」
「そう。どうしても逆転したかったから」
「どうりで急に動きがそろったと思った」
「言葉をかわさないって約束したのにね」
「そんなこと、関係ないよ。ぼくらだって、少しは言葉をかけ合っていたんだから」
「なんて?」
「うえしたひだりみぎまえうしろ」
ようやく、ユッコに笑顔が浮かんだ。
「私たちもそれくらいの指示だったけれどね」
「だったら、気にする必要ないよ」
「ありがとう。それにしても、はやぶさチームは強かった。三度ぶつけをして遊んだ時とはまったく違うんだもの。あの時はわざと下手なふりをしていたの?」
「ちがうよ。あれから強くなったんだ」
「どうやって?」
「ケンカした」
「ケンカすると上手くなるわけ?」
「そうだよ。ケンカして仲直りをして、ぼくらのチームは強くなったんだ」
「ふうん」ユッコは笑顔でうなずいた。「わたしたちもしょっちゅうケンカしては仲直りしているけど、それで強くなったのかな」
「きっとそうだよ。なにしろ優勝したんだからね。そうか、きみたちもケンカするんだ」
「毎日のようにね」
「言葉が通じあっていても、通じなくても、結局はケンカするんだね」
「でも、仲直りもする。そして、友情も強くなる。世界の国もそうだったらいいのにね」
「まったくだ。ぼくの父さんと母さんは言葉が通じなくなってから、前よりいっそうラブラブになったみたい」
「うちの両親もそうだよ」
「言葉が通じない夫婦なんて不思議だよね」
「愛があれば言葉はいらないんだって」
「ぼくの父さんのセリフと同じだ」
ぼくとユッコはおたがいを見つめて笑った。
笑顔がかわいいな、と思った。そのまま言葉にしようかなと思ったけれど、恥ずかしくなってやめておいた。
ほかのメンバーは、まどろっこしくも筆談をしている。
「ねえ」とユッコが甘えたような声を出した。
ぼくはドキッとしてユッコを見つめる。
「ねえ」ともう一度ユッコが照れたように話しかける。「来月、雪合戦大会が北海道で開かれるの。もちろん、無重力なんかじゃなくて、広場で雪玉をぶつけ合うのよ」
「そ、それはおもしろそうだね」
「でしょう? 一緒に出ない? 1チーム9人だから、1人足りないけれど、だれか見つかるでしょう」
「いや、その最後の1人はもういるよ」
ぼくらはその後、三度ぶつけをやって遊んだ。もちろん、ぶっちぎりで勝ち残ったのは、キュッロピュッ君だった。どさんこキッズは次々にボールをぶつけられては、ぼうぜんと立ちつくすだけだった。
「雪合戦大会での9人目のメンバーだよ」
ぼくは胸を張って紹介した。
12 地球に平和を
キュッロピュッ君は雪合戦をとても楽しみにしていた。生まれてからまだ一度も雪を見たことがないらしい。
「楽しゅみゅだなあ」
キュッロピュッ君は本当に楽しみにしているようだった。
スペースドッチボールの大会が終わってからも、ぼくたちは毎日のように顔を会わせては遊んでいた。
そして、驚くようなことが起こった。
トゥゥゥリャリョ、クルゥゥゥピィ(ありがとう)だけで悪戦苦闘しているぼくを尻目に、キュッロピュッ君の日本語はぐんぐん上達していったんだ。
ぼくと出会った時、キュッロピュッ君はまったく日本語がわからなかった。そんな状態から、ほんの2週間ほどで簡単な会話ができるようになり、一ヶ月も経つと、たいていのことには受け答えができるようになっていた。
信じられないスピードで、キュッロピュッ君は日本語を習得していた。ただ、相変わらず発音は苦しそうだった。日本語の音を出すのが彼にとっては難しいのだ。
それでも、キュッロピュッ君はおくすることなく日本語を話そうとする。おそらくそれが外国語上達の秘訣なのだろう。
二ヶ月もすると、キュッロピュッ君は自然な日本語を話すようになっていた。
その間にも世界の緊張はぐんぐん高まっていった。あらゆる場面で公用語を何語にするかで争っていた。言語が原因で本当に戦争が起こりそうだった。
おばあちゃんの話によると、世界はぎりぎりのところで戦争を回避しているらしい。
というのは、同時通訳コンピューターが少しずつ機能を回復していることが判明したからだという。例のケンカ言葉が次第に少なくなり、まともな通訳をする部分が多くなっているらしい。
コンピューター内部のウイルスが弱まっている。その原因は分からない。「神の見えざる手」が我々人間を試したのではないか、と言われていた。
「きみはどこの国から来たの?」
ぼくは聞いてみた。二ヶ月以上も友だちづきあいをしているのに、彼がどこから来たのか知らずにいることに気がついたのだ。
たとえどこの出身でも、友だちは友だちだ。ただ、キュッロピュッ君がどんな国に住んでいたのか興味があった。
「まこと、ぼくたちは友だちだよね」
「もちろんだよ。親友じゃないか」
「じゃあ、教えよう。親友の間に隠し事はいけないからね。でも、これはぼくたちだけの秘密だよ。だれにも言ってはいけないよ」
「わかった」
「実は、ぼくはね……」キュッロピュッ君はぼくの耳元に口を近づけた。「さそり座アンタレスの方角、宇宙座標α102、β497、γマイナス507にある惑星から来たんだ」
キュッロピュッ君は人なつっこい笑顔を浮かべて片目をつむった。
「そうだったのか。それは遠いところから……。あははは」
キュッロピュッ君は天才だ。複雑な冗談さえも日本語で言えるようになった。
ジョークと口ゲンカができれば、その外国語はもう一人前だ、と父さんが話していた。父さんの英語ジョークはわけがわからないところが爆笑もので、たまに母さんとする夫婦ゲンカは父さんの英語に母さんが大笑いして終わりになる。
それに比べれば、キュッロピュッ君の「さそり座アンタレス」ジョークは見事なものだ。
「ここまで来るのに何ヶ月もかかったよ」
「どうして地球にわざわざ来たの」
「決まってるじゃないか。地球人の友だちを作るためだよ。ぼくは幸運だ。すぐに素晴らしい友だちができた」
「友だちって、ぼくのことかい? それはそれは、トゥゥゥリャリョ、クルゥゥゥピィ」
「こちらこそ、トゥゥゥリャリョ、クルゥゥゥピィ」
ぼくたちは見つめ合って笑った。
「まこと、ついでにもう一つ、打ち明けたいことがあるんだ。いいかい、これも親友の間だけの秘密だよ」
ぼくは大きくうなずいた。
「ぼくたちが地球に来る前に、通訳コンピューターを遠隔操作で狂わせておいたんだ」
「言葉を通じなくさせて、地球に攻めて来ようと考えたんだろ」
「ちがうよ。地球を攻撃しようなんて気はまったくない」
「じゃあ、どうして通訳機を使えなくしたんだい」
「通訳機があると、ぼくの話す言葉が地球のものではないとすぐにわかってしまうだろう。通訳コンピューターには地球にあるすべての言語が入っているからね。ぼくたちが地球人ではないことが明らかになってしまう。よそものだと警戒されて、友だちになるどころではなくなる。だから、故障させたんだ」
ぼくはキュッロピュッ君をまじまじと見つめた。ひょっとすると、さそり座アンタレスの話は本当なのか、と思い始めていた。
当たり前のことだけど、同時通訳機は地球にある言語しか扱えない。そのため、キュッロピュッ君の言うとおり、地球人と宇宙人を識別する道具として使うこともできてしまう。
「なあんてね」キュッロピュッ君がおどけた。
「ジョーク、ジョーク。宇宙人ジョークだよ。あははは」
ぼくの肩から力が抜けていった。
「ああ、びっくりした。思わず信じてしまうところだったよ」
「ぼくの日本語はうまくなっただろう。まことがうっかりだまされるほどだものね。これもみんな、まことのおかげだよ。これからもずっと友だちでいてほしいな」
「もちろんだよ」
「ところで、まこと、2・3日のうちに、通訳コンピューターは再び正常に動き出すよ」
「ほんとうかい? どうして知って――」
「楽しみだなあ。同時通訳機がどんな言語でも日本語に直してくれる。そうすれば、ぼくはだれとでも話ができるようになる。よおし、これからどんどん友だちを増やすぞ」
おわり
記:英語科 佐々木晋