山羊メーコさん

「ねえ、山羊をかいましょうよ」
 妻のエリがぼくに向かって言った。
「山羊? どうせ動物を飼うなら、ぼくは犬がいいな」
「でも、すぐお肉にして食べてしまうのよ」エリはいたずらっぽくほほえんだ。「村の人たちに山羊の肉を食べてもらうのよ」
 山羊を「飼う」のではなく、「買う」のだとようやくわかった。山羊を一頭買ってきて、その肉を村人に配ろうというのだ。何かのお祝いをする時、経済的に余裕ある者は、そうでない人たちに肉を配るという習慣がここにはある。
「それはいい考えだけど、なんのお祝いをするの?」 「もうすぐ」エリはため息まじりで答えた。「あずさの三歳の誕生日よ」

 あずさがまだエリのお腹のなかにいる時に、ぼくらはこの村に引っ越してきた。エリがどうしても空気のいいところに住みたいと熱望したんだ。
 それまでぼくらは都会に暮らして、空気なんて気にもとめなかった。なくなるとものすごく困るけれど、普段から空気を気にして生活している都市居住者なんて少ないはずだ。ぼくたちもそうだった、迂闊にも。
 いま思い出すと、ひどい環境で暮らしていたものだ。周りには植物なんてまったくなかったうえに、家のすぐ近くをひっきりなしに車やバイクが通るので、排気ガスで空気は汚れ放題だった。まったく、よくあんな非人間的、いや非生物的な環境で暮らしていたものだ。
 ぼくらは九官鳥のQちゃんと一緒に暮らしていた。悲しいことに、Qちゃんはおそらく空気の汚れが原因で命を落としてしまった。
 Qちゃんはまさに都会の九官鳥で、いちばん得意な物まねはオートバイの音だった。「ブルルルル」とQちゃんはバイクそっくりの音を出しては、ぼくらを驚かせた。バイクの排気ガスがQちゃんの命を縮めたとは皮肉なものだ。
 ぼくらは会社やお店に近くて便利だからという理由で、都会に住み続けていた。たいていの人は、おいしい空気よりも生活の便利さを優先してしまう。
 だから、便利で「何でもある」都会に住みたがる。でも、本当に大切なものは都会にはなかったりする。しかも、大切なものがないことにすら気づかなかったりする。
「田舎のおいしい空気を胸いっぱいに吸って暮らしたい」
 エリは大きくふくらんだお腹をさすりながら毎日そう繰り返した。
 田舎!
 それはすばらしい響きをもつ言葉に聞こえた。
 ぼくも幼いときは『人よりも牛の数のほうが多い』田舎で生まれ育った。それなのに、田舎暮らしの楽しさをどうして今まで忘れていたのだろう。考えるまでもなく、生まれてくる赤ちゃんにQちゃんの命を奪った空気を吸わせるわけにはいかない。
 よし、田舎に引っ越そう。そうエリに伝えると、大きなお腹にもかかわらず、エリは張り切って郊外にある売家を探し回った。
 そして、理想にぴったり合う家を見つけてきた。ただし、その家は郊外の小さな村にあり、ぼくの会社まではうんざりするほど遠かった。おまけに道は舗装されていないガタガタ道だった。文字通り、田舎道ってやつだ。よくそんな遠くまで家を探しに行ったものだ。
「田舎は近くにないのよ。都会から遠く離れていないと、田舎と呼べないでしょう。だから、ここは本物の田舎よ。子どもが育つのにすばらしい環境なの。周りには自然があふれていて、遊べる場所がたくさんある」
 エリはもう母親の顔になっていて、まだ見ぬ子どもを中心に生活を考えていた。
「会社までは遠くなって、あなたは大変だろうけど、なんとかなるでしょう?」
 うん、もちろん、なんとかはなる。朝早く家を出て、夜遅く帰ってくるだけだ。
 エリが見つけてきた家のまわりには田んぼが広がり、森や林がそこかしこにあり、小川では水牛が水浴びをしていた。力持ちの水牛は朝から畑仕事に精を出していたようだ。水牛と並ぶ働き者はコブウシだ。暑さにも強いので、水牛が水浴びをしている間、コブウシが代わって畑で働く。
 村には水牛やコブウシのほかにも動物がたくさんいる。山羊は太らせて肉として出荷される。ニワトリを飼っている農家も多い。だから、日の出前から村はやかましくなる。おんどりたちが競ってコケコッコーと雄たけびをあげるからだ。
 村長は鳴き声やさえずりを観賞するためにコウラウンという鳥を何羽も飼っている。ジャックフルーツの木の枝にひもをかけて、高い所に鳥かごをつるしている。村長が言うには「空に近い場所で育てると、鳥は神に向かって歌うので、さらに美しい声で鳴くようになる」ということだ。
 実際、村長のコウラウンは見事な声を披露してくれる。バイクの物まねが得意だったQちゃんが都会の鳥なら、コウラウンはまさに田舎の鳥だ。ところで、もしQちゃんが生きていたら、コウラウンの見事な鳴き声を真似して再現してくれただろうか。それとも、さすがのQちゃんでもコウラウンの美声は出せなかっただろうか。
 野良猫たちも村でのんびり暮らしている。誰もエサなんてくれないから自分でネズミを捕って食べている。そうやって自由な生活を楽しみつつ、作物を荒らすネズミを減らしてくれるので村人には感謝されている。
 森にいるサルたちと猫たちとの関係は友好的だ。サルにとっては、猫よりも人間にちょっかいを出すほうが楽しいようだ。ここでは油断していると、サルに家のご飯を食べられてしまう。
 でも、サルたちは本格的な悪さはしない。村のいたるところに果物の木が生えているので、サルたちの食べものはたくさんある。腹が満たされている動物はおとなしいものだ。
 だから、村長が木の上で飼っているコウラウンにも決して手は出さない。それどころか、鳥の美しい歌声をうっとりと聴いていたりする。
 ところで、村に実るランブータンやマンゴー、ジャンブーなどの果物はサルでも人間でも勝手に取って食べていいらしい。村の子どもたちのおやつになっているくらいだ。
 ヤシの木とバナナはどこにでも生えている。ぼくたちの家の裏庭にもバナナが実をならす。
 引っ越してきたばかりの頃、庭のモンキーバナナを見るたびにエリは涙を流した。Qちゃんはモンキーバナナが大好物で、エリが週に二回、近くの市場に買いに行っていたのだ。この村ではモンキーバナナは名前どおりサルが好んで食べている。
 こんな自然あふれる村で育つ子どもは幸せだ。木登りも泥遊びもいくらでもできる。水牛の背中に乗ることもできる。村の子どもたちはハダシでそこいらを走り回っていた。まるでサルみたいだ。サルのような子どもたちと本物のサルが一緒に暮らす村なのだ。
 村の人たちは質素な生活を送っている。ご飯のおかずもささやかなものだ。テンペ(粘りと臭いのない納豆のような発酵食品)やターフー(豆腐)、それに野菜を唐辛子で味付けして食べる。毎日同じおかずでも平気みたいだ。米さえ腹いっぱい食べられれば、それで満足できるからだという。
 肉や魚はほとんど食べないけれど、たまにナマズを食べるらしい。ナマズは高たんぱくで健康的な食品だ。ぼくもエリも安くておいしいので気に入っている。ナマズなんて日本人は食べないと思っていたら、日本ではウナギが高くなってナマズが代用されていると聞いてビックリした。
 村の人たちは確かに貧しいかもしれないけれど、明るくたくましく生きている。なによりもよく笑う。ちょっとしたことで大笑いする。自然に囲まれていると、人間の悩みなんてどれもちっぽけなものだと感じてしまうからかもしれない。
 ぼくたちも村に来てから笑う回数が十倍くらい増えたように感じる。Qちゃんが生きていたら、笑い声の真似ばかりしていたかもしれない。
 村の人たちはぼくたちにとてもやさしくしてくれる。それがよくわかるエピソードがいろいろある。「水牛の小錦、ありがとう」や「バナナの葉がお皿」や「根元から切ってはいけない事件」など、など。そのなかでも日本では考えられないのが「ご近所からのもらい乳」だった。
 エリのお腹がパンパンに大きくなったころ、近所に住むヤティさんが一足先に出産を迎えた。村の女性たちはたいてい自分の家で助産師さんの助けを借りて子どもを生む。ただ、ヤティさんは助産師さんを呼ぶお金もなかったので、誰の力も借りずにひとりで生むことにした。
 ヤティさんにとっては二人目の子どもだったので、助けを借りなくても大じょうぶだろうと考えたのだ。事実、ヤティさんは無事に子どもを生んで、へその緒の処理までひとりですませた。
 そこまではよかったが、そのあとヤティさんは意識を失ってしまった。外で遊んでいた三歳の子がたまたま家に帰ってきて母親が倒れているのを見つけた。その子は助けを求めて、ぼくたちの家まで泣きながら走ってきた。すぐに病院に運び、ヤティさんと赤ちゃんはどうにか助かった。
 ヤティさんは次の日、入院代が払えないからと退院してしまった。ぼくが負担するといっても「これ以上の迷惑はかけられません」と言って、赤ちゃんを抱いて村に帰ってしまった。
 その二週間後、今度はエリが出産した。設備の整った大病院でエリは娘を生んだ。 
 数日後に退院すると、ヤティさんが毎日わが家に来ては、エリと子どもの世話を焼こうとする。自分だって生後間もない赤ん坊を抱えているというのに、ぼくたちの娘のめんどうを見ようとするのだ。ぜひとも恩返しをさせてほしい、とのことだった。
 エリは母乳の出が悪く、ヤティさんがゆっくりと時間をかけてエリの胸をマッサージしてくれた。その間、自分の胸からぼくたちの娘に母乳を飲ませてくれた。娘のあずさはそうやって数日間ヤティさんからもらい乳をして育った。
 ヤティさんのように貧しいけれども助け合って生きていこうとする村人たちに囲まれて、あずさはすくすくと育った。
 自然あふれる村にはいくらでも遊び場がある。ハダシで走りまわるサルのような子どもたちの集団に、あずさもいつしか加わるようになった。そしてランブータンやジャンブーの木に登っては、その実をもいでムシャムシャとおやつがわりに食べるようになった。  まさにサルみたいだった。村にいる本物のサルたちも一緒になって木に登っては果物を食べていた。果物の取り合いになることはない。果物の木はたくさんあり、たっぷりと実がなっているからだ。

 あずさはもうすぐ三歳の誕生日を迎える。
「村の人にお世話になって、あずさは育ってきた。だから、あずさの三歳の誕生日に山羊の肉を村の人たちに配りましょう。私たちの感謝のしるしとして」
 お祝い事があった時に、お金持ちが貧しい人たちに肉をふるまうことは、この国で広く行なわれている習慣だ。この村でも、少数のお金持ちが祝い事があるたびに村人に肉を分け与える。
 一昨年、祝い事があって、わが家にも山羊肉が配られた。その習慣について理解していなかったぼくたちは、そのまま肉を受け取ってしまった。
 ところが、あとでわかったのだが、ぼくたちはその肉をいただくべきではなかったのだ。ぼくたちは自分で肉を買うことができる。それだけのお金を持っている。あの山羊肉は、貧しくて肉を買えない人たちへの施しものだったのだ。
 ぼくたちは山羊肉を受け取ったばかりでなく、形式的に(遠慮されるのを前提に)家に肉を持ってきてくれた人に山羊肉のおいしい食べ方まで聞いてしまった。その人は戸惑いながらも山羊汁の作り方をくわしく教えてくれた。次の日さっそく作ってみると、こってりとしていて実においしかった。 
 その時のお祝い事は、村長の孫娘の結婚だった。この村にいる少数のお金持ちとは村長一族のことだ。村にいる水牛もコブウシも村長一族のものだ。山羊もほとんどがそうだという。村長が所有する森に住む野生のサルたちも、村のしきたりでは村長の持ち物になるそうだ。
 あずさの三歳の誕生日のお祝いに山羊肉を村人たちに配る。
 その考えに、ぼくは賛成した。とてもいい考えに思えた。ぼくたちは二年前うっかり受け取るべきではない山羊肉をもらってしまった。本来は他人のものなのに、山羊汁にしておいしく食べてしまった。その埋め合わせをするべきなのだ。
 自分たちの間違いに気づいた後で、ぼくたちは村長に謝りに行った。肉を受け取ったことを謝った。そうでもしなかったら、村で暮らしにくくなるのは明らかだった。
「気にしなくてもよろしい」村長はにこやかに答えた。「まだ、ここの習慣に慣れていないのじゃろ。外国人であるしな。ニッポンに山羊はいるのか?」
 除草のための山羊のレンタルサービスがあると話すと、村長は大笑いしてくれた。
 そのあと、村長はエリとぼくのほうに身を乗り出して、こう言った。
「これから何か祝うことがあったら、村人に肉を配ったほうがいいな。神に栄光を」
 エリはその機会をずっとうかがっていたらしい。エリに言わせると、村長の言葉は「早く肉を配れ」という意味だったらしい。だから、エリはあずさの三歳の誕生日に肉を配りたいと言い出したのだ。
「それはいい考えだ。毎年あずさの誕生日ごとに肉を配ってもいいくらいだ」
「毎年はダメよ。それは最悪の考えだわ」
「どうして?」
「お金を見せびらかすことになるからよ。村長だって二・三年に一度しか行なわないそうよ。私たちが村長よりも気前よく肉を配るのは目立ちすぎてダメよ」
「なるほど。ニャウミばあさんにも同じようなことを言われた」
 ニャウミばあさんは村人たちに尊敬されている。なにしろ、村人の多くは生まれるときにニャウミばあさんに取り上げてもらっているのだ。村長すらも一目置いている。村のサルでさえも、ニャウミばあさんには決していたずらをしない。
 ぼくたちが引っ越してきてから、村のしきたりなどをニャウミばあさんはていねいに教えてくれた。さらに、ヤティさんを病院に運んだ時も、今後どうすればいいのかアドバイスしてくれた。一言でまとめると「ほどほどにしておきなさい」という助言だった。
 ヤティさんの入院に気前よくお金を払っていると、ほかの村人がうらやんだり、ねたんだりしてしまう。それがいきすぎると、ぼくたちが村で暮らしづらくなるというのだ。
 おたがいに助け合う。富めるものは貧しいものに施しを与える。それが当然だとしても限度があることをニャウミばあさんは教えてくれた。
「だから、ここぞという時にだけ肉を配るのよ。何年かに一度のペースでね」
「わかった。まずは、あずさの三歳の誕生日だ」
 次の休みの日にぼくは村長の家を訪れた。村で肉を配る段取りについて村長に相談に行ったのだ。それに、村で何かをやろうとするなら、まず村長に知らせておかなければいけない。
「ほほう、それはいいことじゃ。神に栄光を」
 ぼくから話を聞くと、村長は手放しで賛成してくれた。
「実にすばらしい。神に感謝を。ただし、気をつけなければいけないことがいくつかある」
 それから村長は、さも世界の平和を保つために重要であるかのように、ぼくにやるべきことを重々しく注意した。
 まず、山羊の肉にすること。水牛の肉にしてはいけない。理由は、村長が一昨年ふるまったのが山羊肉だったから。水牛は山羊よりも値段がはるかに高い。何事も村長を超えてはいけないのだ。
 それから、山羊は村長の三男から買うこと。値段は村長の口利きで特別価格にしてくれるという。もっとも、山羊の相場を知らないから、村長特別価格が実際に安いのかどうかはわからない。
 ニャウミばあさんに聞いてみようか。いや、やめておいたほうがいい。下手をすると「あんた、ずいぶん高く山羊を売ったんだね」とニャウミばあさんが村長の家へどなりこみに行くかもしれない。そうなったら村長の面目丸つぶれだ。ここは村長の特別価格とやらを特別に信じてみよう。
 さらに、山羊の皮を村に寄付してくれと頼まれた。祈りの時間を告げる太鼓を新しく作りたいとのことだ。もちろん構わない。山羊の皮なんて他に使い道はなさそうだ。
「あずさちゃんの誕生日はいつじゃ?」
「来週の日曜日です」
「そうか。神に栄光を。では、日曜日の朝九時から儀式をとりおこなって、山羊の命をいただこう。村の衆みんなで祈りを行なう。神に感謝の祈りをささげるのじゃ。儀式の段取りはワシがつけておく。おまえたちは村の広場に来るだけでよろしい」
 神に感謝を。神に栄光を。村長は天井を見ながらブツブツとつぶやいた。たぶん天の神に儀式の成功を願っているのだろう。
「それから、山羊の解体だが、それもワシのほうで人を用意しておく。とても腕のいい職人がいる。きれいに皮をはいでくれる」
「すべて、村長にお任せします」
「神に栄光を。何も心配はいらない。山羊の代金は早めに持ってきてくれ。皮はぎ職人へのお礼も忘れないようにな。わからないことがあれば、いつでもワシに相談すればいい」
 話は決まった。一週間後の日曜日、あずさの誕生日に山羊を解体して肉を配る。皮は新しい太鼓になる。村長に任せておけば、なにも心配はいらない。こちらは山羊のお金と職人の費用を用意すればいい。そして、すべてを早めに村長に支払う。実に簡単なことだ。
 しかし、自分のことを他人任せにすると思い通りにいかなくなるように、山羊肉配りもそう簡単には事が運ばなかった。まず、不吉な前兆であるかのように、その日のうちに山羊がわが家に届けられた。
 まだ暑い盛りの午後三時に丸々と太った山羊が運ばれてきた。一体どうなっているんだ。
「儀式は一週間後の日曜日ですよ」
「だから、一週間前に山羊を持ってきたんでさあ」
 村長の三男が説明する。声がキンキン響くほど高くて聞き取りづらいうえに早口で話すものだから、頭がガンガンしてきた。
「どういうことですか? 儀式に山羊を連れてくるだけでいいのに」
「おいらたちに肉を恵んでくれる山羊の最後の一週間は、山羊を犠牲にする者が世話してやる決まりなんでやんす。山羊に最後の素晴らしい一週間を与えてやるでやんすよ。山羊に心残りがない状態で天国に送り出してやるでやんす」
「世話するってどうやって? 山羊なんて飼ったことがないのに」
「なあに、簡単でやんす。草をやっておけばだいじょうぶでやんす」
「そんなんでいいの? 最後の素晴らしい一週間にしてやるんでしょう」
「気持ちでやんすよ。気持ち。なにごとも心が重要なんでやんす」
「山羊を専門に飼っている人こそ、最高の世話ができるはずなのに」
「だいじょうぶでやんすよ。それに、山羊小屋に入ればメエと鳴け、水牛の小屋に入ったらモウと鳴け、でやんす。心をこめるんでやんすよ。そうすれば、ひょっとすると、山羊に引かれてアグン寺院参り、となりやんすよ」
 村長の三男はことわざまで出してきた。もちろん、さっぱりわからない。でも、ひとつだけはっきりしたことがある。ぼくたちはこれから一週間、山羊の世話をしなければいけない。それがこの村のしきたりなのだ。郷に入っては郷に従え、山羊小屋に入ればメエと鳴け、なのだ。
 草さえやっておけばいい? 運動のために散歩に連れて行かなくてもいいのか。この山羊は、途中で死なせるわけにはいかない。今度の日曜日に村の人に肉を配るまでは、太ったまま健康でいてもらわないと困るのだ。
 ひとまず裏庭のアボガドの木に山羊をつないでおいた。
 あずさは大喜びした。家で動物を飼うのは初めてだったうえに、山羊なんて大型の動物が庭にいるのだ。ちょっとした動物園気分だ。
「おとうさん、山羊さんは何を食べるの?」
 あずさがそう質問するかたわらで、山羊は庭の芝生を食んでいた。せっかく雑草を抜いてきれいにしたばっかりの自慢の芝なのに。
「草を食べるんだよ。ほら、きれいに生えそろった芝生をムシャムシャ食べているよ」
「キャッサバの葉をやってもいい?」
「もちろんだよ。キャッサバのほうがおいしいから、芝生はもう食べないでって山羊さんに頼んでくれないか」
「はあい」と元気よく返事をして、あずさは跳ねるように庭にあるキャッサバへと向かった。まるで子山羊のような軽やかな動きだった。なるほど、英語のキッド(kid)という単語には「子ども」と「子山羊」という意味があるのは、幼い子どもと子山羊の動きが似ているからか。
 あずさはキャッサバの葉を山羊の口元へそろそろと差し出した。山羊はかじり取るようにして葉を奪うと、あっと言う間に平らげてしまった。
「山羊さん、お腹が空いているんだね」
 あずさは何度もキャッサバの葉を山羊に食べさせた。山羊は差し出された葉を次々に平らげていく。気持ちのいい食べっぷりだった。きっとキャッサバの葉は山羊の大好物に違いない。
 このぶんだと、今日一日で庭のキャッサバは葉がなくなってしまうだろう。実はキャッサバの葉は、ぼくもエリも大好物だ。さっとゆでて、サンバル(唐辛子などをすりつぶした辛味調味料)をつけて食べると美味い。苦味があるから、あずさは食べられない。ぼくとエリと山羊の大好物ということになる。
 キャッサバは芋と同じように根が太くなって、主にそこを食べる。ふかすと甘くなっておいしい。なにしろキャッサバの根はタピオカの原料になるほどだから。
「たくさん食べて大きくなるんだよ」
 そう言いながら、あずさは葉をやり続けている。
 この段階で、ぼくもエリも気づくべきだった。あずさに山羊の世話をさせるべきではないということに。この山羊はあと一週間で肉となり食べられる。あずさがかわいがれば、必ずや情が移ってしまう。そうなれば犠牲の山羊に出しにくくなるのは火を見るよりも明らかだった。
 それなのに、これから一週間も山羊の面倒を見ないといけないわずらわしさに、ぼくとエリはうんざりしていて、我が子と動物がむすぶ心の絆について想像すらできないでいた。
 ぼくたちは実際げんなりしていた。山羊は庭の芝を好き勝手に食べ、ぼろぼろと四六時中フンをまき散らす。脂くさい体臭は鼻をつくほどだった。そのうえに、縦に細長い瞳は不気味で、見つめられるとぞっとするほどだ。
 そして、突然「メエエ」と大きな声で鳴き、そのたびにぼくたちは驚いて飛び上がった。
 やれやれ、ぼくたちは熱帯にある異国のちっぽけな村で山羊を飼わされている。しかも、山羊が心残りなく天国へ行けるように世話してやらなければならない。まったく、やれやれだ。
 キャッサバはすっかり葉がなくなったので、山羊のために別のところから草を持ってこなければいけなくなった。
「なあに、簡単でやんす。草をやっておけばだいじょうぶでやんす」
 そうかもしれないけれど、その草を用意するのが大変だ。ぼくはぶつぶつ言いながら家の前の原っぱで草を刈った。いつもは親切な村の人たちは誰ひとりとして手伝ってくれない。犠牲の山羊の最後の日々は、ぼくたち家族が世話することになっているからだ。
 幸いなことに、草はそこいらじゅうに生えているので、いくらでも用意することはできる。しかし、リアカーいっぱいに草を刈ってきても、ほんの半日で山羊は食いつくしてしまう。
 おまけに「やわらかい草だけを持ってきて」と、あずさに文句まで言われた。かたい茎を山羊はいやがって食べないそうだ。心残りなく、柔らかい草を腹いっぱい食べてもらわないといけないみたいだ。
 ぼくは会社に行く前に原っぱでやわらかい草を選んで刈り、一日分の山羊の食料を用意してから仕事へと向かった。会社に行く前にもう疲れていた。
 人間もそうだけれど、動物が生きていくのは大変だ。生きるためには食べないといけない。毎日食べ続けないといけない。人間なんて一食抜いただけで明らかに体力も集中力も落ちて機嫌が悪くなる。食べることは生きることなのだ。そして、食べものを用意するのは大変な仕事だ。
「メーコ、たくさん食べるんだよ」
 あずさは山羊を名前で呼んでいた。山羊のメーコだ。もっとも、その山羊はオスだった。でも、名前を変えさせるのも面倒だったので、そのままにしておいた。
「メーコ、大好きだよ。たくさん食べて大きくなるんだよ」
 あずさは山羊に毎日そう語りかける。三歳の小さな体のあずさにとっては恐竜みたいに大きな山羊に向かって、もっと大きくなれと諭すのだ。子山羊と同じキッドのくせに、まるで山羊の母親みたいにふるまっている。
 さすがに、エリがこのままではまずいと思い始めた。
「困ったわね。あと五日であずさの誕生日だというのに」
 村じゅうの人が今度の日曜日に山羊をおくる儀式があることを知っている。肉が配られるのを楽しみにしている。久しぶりに山羊汁やら山羊肉の串焼きが食べられると楽しみにしている。
「あずさにとっては、メーコはもう友だちになっているものね」
 エリがため息をついた。
 確かにまずい状況になってしまった。あずさにとってのメーコは犬や猫と同じようなペットとなっている。さらに、友だち、あるいは家族の一員として見なしているかもしれない。その山羊を、あずさのペット・友だち・家族をぼくたちは食べようとしているのだ。
 あずさは目を覚ますと、まず裏庭へ行ってメーコに「おはよう」と声をかける。メーコもあずさを待っていたかのように「メエエ」と返事をする。日中、あずさはできるだけメーコと一緒にいようとする。裏庭のベランダに腰を降ろし、メーコに話しかける。
 あずさはメーコが大好きだし、メーコはそれをわかっているように見える。
 メーコはフンをまき散らし、それを踏みつけてしまうから、芝はどす黒くなり、ますます異臭が漂い、メーコの足はいつもドロドロしている。あずさはそんなことはまったく気にならないようで、ひまさえあれば「メーコ、メーコ」と話しかけている。
 どうせすぐにあきるだろうと思っていた。初めは大きな動物が珍しく、あれこれと世話を焼きたくなるけれど、山羊の身体は汚くてさわれないし、怖くて近づくこともできない。そんな動物にはすぐにあきてしまうはずだと高をくくっていた。
 ところが、三日、四日、五日経っても、あずさは変わらぬ態度でメーコと接していた。
「メーコのどこが好き?」とたずねると、
「やさしいところ」と、あずさは答えた。
 あずさにやさしくしてくれるメーコにはあと二日しか残されていない。二日後の日曜日に村人たちが祈りをささげ、メーコの命をいただく。
 あと二日。
 ぼくはメーコのフンを掃除して、そこに刈ってきたばかりの草を敷きつめた。それから柔らかい草だけを選んでメーコに食べさせた。もしゃもしゃと平らげていくメーコは食欲があり元気で、あぶらぎって太っていた。
 その日、エリはとんでもない光景を目にしたという。仕事から帰ってきたぼくに、エリは昼間の出来事をため息をつきながら話してくれた。
 あずさがメーコの頭をなでていたというのだ。
「あれほど口をすっぱくして、山羊には近づきすぎないようにと言い聞かせていたのに……」
 びっくりして血の気が引いてしまったほどだ。ぼくたちにとって、あずさはかけがえのない愛しい子どもだ。山羊にケガでもさせられたら、悔やんでも悔やみきれない。
「でもね、あずさを攻撃するような素振りはいっさい見せなかった。メーコは頭をなでられてもじっとしていた。なでられて喜んでいるようにも見えた」
「その時、メーコは尻尾を振っていたかい?」
 ぼくは気が動転して、思わずくだらないことを聞いてしまった。
 なにからなにまで信じられない話だった。親の言うことを聞かずに、してはいけないことをしたあずさ。自分よりはるかに小さな子どもにさわられて、じっとしている山羊。
「私も最初は信じられなかった。びっくりしたけど、すぐに駆け寄って、あずさをメーコから強引に引き離した。メーコが私をじいっと見つめていた。背筋に冷たいものが走ったわ」
「あずさは何と言っていた?」
「おかあさん、だいじょうぶだよ。メーコはやさしいからって。頭をなでてやると喜ぶんだよって。だから、あずさは『メーコ、大好きだよ。メーコはやさしいね』って言いながら、メーコをなでてやるんですって」
「これじゃあ、ますますメーコを儀式に出しづらくなったな」
「でも、あずさの成長を神に感謝するための犠牲の山羊なのだから、心を鬼にしてでも予定通りにしないとダメよ。それに、お肉を期待している人が多いのだから、中止なんかにしたら村にいられなくなってしまう」
「しかしなあ……」
 夜もふけているというのに、裏庭からメーコの鳴き声が聞こえてきた。まるで何かを訴えかけるかのように声がいつも以上に強かった。外に出てみると、メーコがじっとこちらを見つめていた。部屋の明かりが目に反射して白くなっていた。
 ぼくがため息をつくと、すぐにメエエとメーコが鳴いた。あるいはメーコもため息をついたのかもしれない。
 あずさの様子を寝室に見に行くと、一日の活動を終えた小さな身体はエネルギーを補充するためにぐっすりと眠っていた。メーコがいくら大声で鳴いて呼んでも、朝までこの小さなご主人様は気づかないだろう。
 土曜日になった。仕事は休みなので、朝早くにまず草を刈ってきて、あずさと一緒にメーコが朝ごはんを食べるのをながめた。いよいよ儀式は明日だ。
「今日もたくさん食べるね、メーコは」
「そうだね。あずさもたくさん食べないと大きくなれないよ」
「大きくならなくてもいいよ」
「どうして?」
「小さくても、楽しいから」
 メーコが突然メエエと元気よく鳴いた。まるで「おいらも楽しいよ」とでも言っているかのようだった。
 あずさの心のこもった世話のおかげで、メーコは最後の素晴らしい一週間を過ごしている。あとは、心残りがない状態で天国に送り出してやるだけだ。でも、あずさのことを考えると、それが正しいことなのか分からなくなる。
「山羊の頭をなでたんだって?」
「山羊じゃない。メーコだよ」
 ぼくはため息をひとつついてから続けた。
「苗字が山羊っていうんだ。山羊メーコが本名なんだよ」
「そうだったんだ。知らなかった」
「それで、あずさは山羊メーコさんの頭をなでたの? 危ないから近づきすぎない。身体にはさわらない。そう約束したよね」
「メーコはだいじょうぶだよ。やさしいから。近づいても危なくないよ。頭をなであげると、よろこぶんだよ」
 メッと短くメーコが鳴いた。うん、と返事をしたかのように。
 朝食を取ったあと、ぼくとあずさは散歩をすることにした。まだ九時なのに、気温は三十度を超えている。いつもどおりの熱帯の一日が始まった。水牛が気持ちよさそうに川に浸かっている。まだ暗いうちから働いていた村長の水牛だ。
「メーコもお散歩に連れて行きたいな」と、あずさがねだったけれど、
「メーコは食事の後、ひと眠りするんだよ。じゃましないでおこう」と、かわしておいた。
 あずさだって四六時中山羊と一緒にいると退屈に感じるはずだ。山羊なんてたいしておもしろい動物ではない。犬や猫みたいに人間にじゃれてくることもない。当たり前だ。山羊は乳をしぼられ、肉を食べられ、皮は太鼓になる。そのために生まれてきた動物なのだ。
 だから、そもそも名前なんて付けさせるべきではなかった。山羊メーコなんて氏名にしてはいけなかった。でも、もう遅い。そして、残されているのはあと一日しかない。
 涼しい林の中を抜けていくと、ヤティさんに出くわした。小さな子の手を引いていた。
「お元気ですか」ヤティさんは相変わらず礼儀正しい。「いよいよ、明日はあずさちゃんのお誕生日ですね。儀式には私も子どもを連れて参加します」
 ヤティさんの子どもはあずさと同じ歳だ。ほんの二週間しか誕生日は違わない。ヤティさんの子どもは三歳の誕生日をどのように祝ったのだろう。おそらく普段通りの一日を送っただけだろう。いつもどおりの食事をして、その日の恵みをいつもどおりに神に感謝したはずだ。
「儀式にはぜひ来てください」
 こういう人たちにこそ肉を食べてもらいたい。あずさが世話になった人たちにたくさん肉を配りたい。あずさはヤティさんからもらい乳までいただいたのだ。
「ねえ、おとうさん。明日の儀式ってなあに?」
 ヤティさん親子と別れてすぐ、あずさが聞いてきた。
「あずさの誕生日をみんなでお祝いするんだよ。それが儀式だよ」
「なにをするの?」
「あずさが大きくなるのを手伝ってくれて、村の皆さん、ありがとうって感謝するんだよ。それから、天から見守ってくれている神さまにも感謝する。みんなで感謝のお祈りをするんだ」
「それだけ?」
「そのあとで、おいしいものを食べる。あずさは何を食べたい?」
「ケーキ!」
 そうか、ケーキも買っておかないとな。あずさが喜ぶものは何でも用意しよう。明日はあずさの誕生日なのだ。それがいちばん大切なことだ。そう、あずさのことだけを考えよう。
 その夜、ぼくの考えた「あずさのための誕生日大作戦」をエリに提案してみた。
「山羊のことなんだけど、こういうのはどうだろう。明日の朝早くに別の山羊を買ってくる。村長に話をすれば、きっとすぐに喜んで手配してくれるはずだ。村長の特別価格でね。その山羊で儀式を行なう。そして、メーコはこのまま家で飼おう。あずさになついているし――」
「ダメよ」とエリはきっぱりと言った。
「メーコでなければダメなのよ。今さら別の山羊にするなんて、まさに子どもだましにすぎないわ。メーコでなければ純粋な気持ちが台無しになってしまう。あずさの成長を心から感謝する気持ちよ。その純粋な心が、別の山羊で代用すると濁ってしまう」
 見た目や形だけを整えることをエリは嫌っているのだ。
「メーコでなければいけないのよ。私たちが最後の一週間を世話したメーコでないとダメなの」
 ぼくの提案はあっさり拒否された。確かに、エリの言うことは正しい。ぼくたちはあずさの成長を心から感謝したい。ただそれだけなのだ。
「あずさに話してよ。まだ三歳だけど、親が真剣に話せば理解してくれる。メーコは明日にはお肉になってしまう。そう正直にあずさに話しましょう。そして儀式は予定通りメーコで進める」
 そうするしかなさそうだ。メーコこそ尊い犠牲の山羊なのだ。それをあずさにわかってもらうしかない。儀式は明日だ。もう時間がない。最後まであずさと正面から向き合おうとしなかったツケが回ってきた。だから、こんなぎりぎりになって困り果てている。
 明日の朝、あずさが目を覚ましたらすぐに話をしよう。
 しかし、ぼくには自信がない。なぜ、メーコを殺して、その肉を近所の人たちに配るのか、あずさを納得させられる自信がない。それは、ぼく自身が完全に納得できていないからだ。
 祈りを唱えて儀式を行うことにどれほどの意味があるのだろうか。そんなめんどうくさいことをやらないで、市場で山羊肉を買ってきて皆に分ければ、それですむではないか。
 いや、肉なんかよりも現金を渡すほうがいい。そのほうがずっと効率的だ。それなら各家庭でいちばん必要とするものが買える。ヤティさんなら下の子どもに新しいシャツを買うかもしれない。そのほうが山羊肉よりも喜ばれそうだ。
 もちろん、今さらそんな根本的なことは変えられない。どうしてもメーコを犠牲にして山羊肉を配らなければならない。それもこれもすべてはあずさのためなのだ。
 ついに日曜日になってしまった。
 あずさは目を覚ますと、まず裏庭へと行き、メーコに朝のあいさつをした。そのあとで、ぼくたちのところへ来た。
「あずさ、おはよう。それから、お誕生日おめでとう」
「ありがとう。おとうさん、メーコのご飯を持ってこようよ」
「ちょっと待って。その前におとうさんと話をしよう」
「うん、いいよ」
「今日はあずさの三歳の誕生日だ。あずさがここまで大きくなって、おとうさんもおかあさんも、とてもうれしい」
「あずさもうれしいよ。メーコもうれしいと思っているはずだよ」
「もちろんさ。それでね、大切なことなんだけれど、あずさがここまで大きくなれたのは、いろんな人にお世話になったからなんだ」
「ヤティさんとかでしょ。もう何度もオッパイの話は聞いたよ」
「ヤティさんだけじゃないよ。他にもたくさんの人がいる。それに、なによりも忘れてはいけないのは天の神さまだよ。いつもあずさのことを見ていてくれる。あずさを守ってくれる」
「子どもはたくさんいるから、いつも見ていないといけない神さまは大変だね」
「おとうさんもおかあさんも皆にありがとうと言いたいんだ。神さまにも大きなありがとうを言いたい。そこでね、まわりの人にプレゼントをしようと決めたんだよ」
「ええ? あずさのお誕生日にヤティさんにプレゼントするの?」
「そうだよ。あずさがここまで元気で暮らせたのは、たくさんの人が助けてくれたからだから、みんなにプレゼントしたいんだ。そこで、神さまに何をプレゼントすればいいですかって村長さんに聞いてもらったら、お肉を配りなさいって言ったんだって」
「お肉よりもケーキのほうがいいよ」
「神さまがお肉にしなさいって言ったんだよ。どうしてだと思う?」
「神さまはおじいちゃんだからケーキが好きじゃないのかな」
「ちがうよ。お肉は身体を強くするからだよ。ケーキは身体を大きくしないんだよ。甘くておいしいけれどね。だから、お肉をプレゼントしたいんだ。そうすると、みんな喜ぶんだ」
「それはいい考えだね」
「そう、いい考えなんだよ。そこで、神さまが選んでくれたのが、山羊メーコさんなんだ。まず、おとうさんとおかあさんとあずさで一週間だけメーコさんのお世話をして、それから村の人たちが集まってお祈りの儀式をして――」
「メーコをお肉にするの?」
「メーコはとてもいいことをするんだよ。みんなの身体を強くする。神さまがメーコはえらいって――」
「やだ。そんなのやだ。あずさは誕生日なんかしない。おとうさんなんて大きらい」
 あずさは半泣きのまま裏庭へと駆けて行った。まるで、そこが自分の安らぎの場であるかのように、メーコのところへ駆けて行った。
 あずさはメーコの首にしがみついた。
「メーコ、大好きだよ。お肉になっちゃダメ。いつまでもここにいて」
 メーコは抱きつかれて苦しいのか、身体をよじって逃げようとする。
「あずさ、ダメよ。メーコから離れて。メーコが苦しがっているわよ」
 エリがあわてて声をかけた。あずさの裸足の足はフンまみれになっている。
「おかあさん、こっちに来ないで。メーコに近づかないで。おかあさんなんか大きらい」
「あずさ、危ないから離れて。それに、足が汚れて――」
「そんなのいいの。こっちこないで!」
 あずさは声を限りに叫んだ。大きな声に驚いたのか、メーコがメエエエと鳴いた。
 メーコがエリとぼくのほうをにらんだ。まるでぼくたちが悪いと決めつけているように。あずさもまたこちらをにらみつけている。
「あずさ、とにかくメーコから離れなさい」
 それだけ言って、ぼくたちは室内に入った。今はあずさをあまり刺激しないほうがいい。
 すると、すぐにあずさは裏庭から家の横を通って走っていった。門を開ける音が聞こえる。あわてて玄関から外に出て「あずさ、どこに行くの?」と声をかけると、
「メーコのご飯を取ってくる。おとうさんはメーコに近づかないで」と、とがった声が返ってきた。
 あずさは自分で引き抜いた草を抱えて戻ってきた。そして、メーコに手から食べさせている。そっと窓から様子をうかがうと、
「メーコ、大好きだよ。これからも一緒だからね」
 と涙声が聞こえてきた。メーコはあっという間にあずさが運んできた草を食べ尽くし、まだ食べたりないのか、しきりにあずさの手に向かって首を伸ばしている。
「草を取ってくる」
 エリにそう告げて、ぼくは外に出た。メーコのための最後の草刈りだ。
 急いで刈ってきた草を裏庭へと運び、メーコから離れた場所に積んでおいた。
「おとうさんはメーコに近づいたらダメ!」
「わかってるよ。草はあずさが食べさせてやりなさい」
 メエエエとメーコがねだるように鳴いた。
 その時だった。
「平穏があなたのもとにありますように」と挨拶が聞こえた。村長の声だった。
 村長はサファリジャケットの正装で、屈強な若い男を連れていた。男はTシャツ短パンに裸足で、どうやら山羊を連れていく係のようだ。家の中へと招いたが、村長だけが入ってきて、男はさも当然というふうに外に立ったままだった。
「暑いね」と村長は客間のソファーに腰を降ろして、ハンカチで顔の汗をふいた。
「乾季に入ったからな。天低く山羊肥える雨季は終わってしまった」
「村長、実はあずさが――」とぼくが事情を話そうとすると、エリが口をはさんだ。
「すぐに山羊を連れて行ってください。儀式を待っている人たちがたくさんいます」
「そうじゃな」と村長は裏庭へと向かった。外に立っていた男に合図すると、男は家の横を通って裏庭へと向かった。
 村長と男の姿を見ると、あずさの顔色が変わった。これからメーコに何が起こるのか、一瞬で悟ったのだ。
「メーコを連れて行っちゃあダメ」
 あずさは抗議の言葉を叫んだ。この村の言葉をあずさは村人と同じようにペラペラと話す。この村で生まれ育ったあずさにとっては外国語ではないのだ。村の人たちとはこういう話しかたをする、家ではこういう話しかたをすればいいと、ごく自然に言語を切り換えている。
「おやおや、どうしたのかな。誕生日おめでとう。三歳になったんじゃな。今日はあずさちゃんの成長を祝う日じゃ。そのために山羊は貴い命を捧げてくれるのじゃ」
「誕生日なんて祝わなくていい。メーコはここで暮らすの」
「メーコというのは山羊の名前か。いい名前じゃ。神が我らに与えたもうた素晴らしい山羊じゃ。神に栄光を。神に感謝を」
 村長は手のひらを胸の前で空に向け、目をつぶって祈った。それから、こう言った。
「メーコは立派なことをするんじゃよ。あずさちゃんのお祝いのために、自らの身を捧げてくれるのじゃ。それゆえ、神のもとへと天に昇っていく。そして、神の祝福を受け、天国で永遠の生を与えられるのじゃよ」
「何を言っているのか全然わからない。村長はもう帰って」
「そんなことを言ってはならぬ。これは神の御言葉であって――」
「帰って」
 あずさはメーコの前に立ちふさがり、両手を広げてメーコを守った。
「村長」エリが口を開いた。「山羊を儀式の場へすぐに連れて行ってください」
「おかあさん、ダメ。メーコを連れて行ってはダメ」
「今日はお祝いの日じゃ。みんながあずさちゃんの成長を祝っておる。そのために神は犠牲の山羊を我らにつかわし――」
「なにを言っているのか、全然わからない」
「村長、話はもういいから山羊を」
「ダメだったら、ダメ!」
「神の御言葉の――」
「村長、早く!」
 村長は面目がつぶされたとばかりに苦々しい顔をしながら、Tシャツ短パン男に「犠牲の山羊を儀式の場へとお連れしろ」と命じた。
 男は山羊に近づこうとしたが、あずさが両手を広げて立ちふさがった。まさか、三歳のおさない子ども、しかも今日の主役である子どもをないがしろにもできず、男はどうしたものかと村長に目で問いかけた。
「うむ。山羊をお連れしろ」
 村長はあずさの前にしゃがみこみ、目線を合わせて再度の説得を試みようとした。その村長に向かって、あずさは大声で叫んだのだった。
「山羊どろぼうううう!」
 空気を引きさかんばかりの叫び声に、裏庭にいた皆の動きが一瞬とまった。村長は凍りついたように棒立ちになった。メーコの縄を引く男の力がゆるんだ。
 だが、それまで足を踏ん張って抵抗していたメーコすらも力を抜いて、叫び声をあげたあずさに目を向けて立ちすくんでいる。あずさは肩で息をしながら、鼻をすすり、村長をにらみつけている。
 すると、メーコがゆっくりと自ら男のほうへ歩き出した。まるで、自分の使命を理解したかのようだった。男はすぐに我に返って、そのまま縄を引いて連れて行った。
「ああああ」
 あずさは最後の叫びをあげると、直立したまま空を見上げて泣き続けた。連れられて行くメーコのほうを見ようともしなかった。メーコも振り返ることはなかった。
 その後の儀式にはぼくだけが出席した。長いお祈りとお祝いの言葉のあと、メーコは喉を割かれて絶命した。血しぶきが吹き出す喉には竹筒が押し込まれた。山羊の血も料理に使われるということだった。
 メーコの身体は血の一滴から全身の皮や毛まで、もちろん肉も内臓もあらゆる部位が活用されることになる。
 ぐったり疲れて家に戻ると、すぐにエリが来て「だいじょうぶよ。私たちの子どもはもうだいじょうぶ」と耳元でささやいた。
 あずさは裏庭に通じるベランダにちょこんと座っていた。メーコがつながれていた場所に目を向けている。芝生はぐちゃぐちゃになって、フンが泥のようにおおっていた。山羊の臭いがまた鼻をついた。さっきまでは気にならなかったのに、いなくなった途端に鼻をついてくる。
「おとうさん、メーコはちゃんと天国へ行けたの?」
 あずさがガラガラ声でたずねた。さんざん泣きわめいたから、喉がかれている。
「うん。みんなからメーコありがとうって言われながらね。神さまにもたくさんお祈りしたよ。これからメーコをよろしくお願いしますってね」
「だいじょうぶだよ。だって、メーコはとってもいいことをしたんだから。天国へ昇って、神さまにたくさんほめられているよ。メーコはみんなのためによくやったねって」
 あずさは空を見上げて、それから涙をぬぐった。
「これからメーコは神さまと一緒にずっと天国で暮らすんだよ。天国にはきっとキャッサバの葉っぱがたくさん生えているから、メーコは喜ぶよね。もしゃもしゃとたくさん食べているよ」
 あずさをそっと抱きしめると、そこにエリがやって来た。そして、あずさの背中側から小さな身体に腕をまわした。
「あずさ、お誕生日おめでとう」
「うん、ありがとう。おかあさん、大好き。おとうさん、大好き」  遠くでかすかに山羊の鳴き声が聞こえた気がした。

記:英語科 佐々木晋