文章を書くということ ~遠回りは面倒だが役に立つ 番外編5/5~
メンバーの数がある一定数を超えると、それまで見向きもしなかった者さえ興味を示し始め、幽霊会員は生き返り、実際にノートに執筆する会員が増えていった。
一度書くと二度と自分には回ってこないほどまで会員が増えてしまい、何種類ものノートが同時にあちこちで回り始めた。リレー小説専用のノートができ、イラスト中心のノートが回り、A校男子とB校女子だけの限定ノートが密かに作られた。アメリカに留学した男子がアメリカの高校生にも書いてもらい、日米を行き来する国際ノートすら誕生したのだった。
文章には、一度書きだすと麻薬のような常習性がある。私自身がそうだった。のちに「全学中オリジナル」と呼ばれる記念すべき第一冊目に書いて以来、何日か経つとまた書きたくなり、その間隔が次第に狭まり、ついには毎日、いや一日に二回も三回も書きたくなったものだ。自分の文章に誰かの反応があるのが何よりも楽しみだった。ひとたび全学中の活動に加わると、もう二度と抜け出せない、と我々は冗談交じりに言ったものだ。文章で自分を表現したい。自分が書いたものを読んでもらいたい。そう願っていた高校生がいかに多かったことか。
こうやって全学中の活動はSの予想を遥かに超えた広がりを見せた。もはや「学級」には収まらず、学年どころか、学校の枠さえも軽々と超えてしまった。大袈裟ではなく、札幌じゅうの高校生を巻き込んでいったのだ。
高校生の文章へ向ける熱狂はついには北海道新聞夕刊に全学中の活動が取り上げられ、北海道文化放送の日曜お昼のラジオ番組にSがゲスト出演するほどの騒ぎになった。
文章を展開しよう。
この言葉は多くの高校生の心に刻まれ、そして実際に多くの文章が展開されていった。
1970年代終わりごろの話である。
記:英語科主任 佐々木晋