なんのために勉強するの?②

 ―自分の人生と勉強がどうつながっているの?

結論から言うと、“勉強すること”(=努力すること)自体が、人生すなわち自分が歩んでいく道を作るパーツ(部品)になるのです。夢や目標はその時々において変化していきます。自分が何か夢を思い描いたときに、そこに繋がる道があるかどうか、作れるかどうかは、それまでの自分の努力と知識と経験によります。つまり、どれだけ勉強してきたか、が自分の道を広くも狭くもするのです。

 常に自分の可能性を広げるために努力してきた者には幅広い道、つまり広い選択肢が用意されています。その時々で嫌なことを避けていれば、パーツが足りずに細い道しか作れなくなることがほとんどです。東大を卒業した人たちがいろいろな職業を希望し、選択することはよくあることですが、例えば努力を惜しみ続けてきた者が突然医者を志したとしても、そこにはとてつもなく高い山を登るがごとき試練が待ち受けます。年齢や状況によっては“不可能”と言わざるを得ないかもしれません。

 夢や目標は仕事だけに限りません。ただし「自分で自分の人生を決める」という部分においてはすなわち生業(自分で生きていけるようにする糧、仕事や職業)が必要になります。勉強を避けたければ、学業で得られるものに匹敵するような武器を持つ必要があります。芸術、スポーツ、文化、料理…これらの道で大成(すなわち人生を歩んでいけるように)するには相当な努力が求められます。また、これらに特化していくと、その後に選択できる道が限られていくのではないか、という怖さもあります。「やっぱり、やーめた」という決断がしにくくなっていくのです。スポーツ選手が第二の人生を…といったようなニュースや報道を目にすることもあるかと思います。けれど、当然本人の並大抵ならぬ努力あればこそ、さらに言うとそのような転身を遂げることができる人もごくわずかであることは忘れてはいけません。

続く
記:小中学部 兵藤晋平